新米クリスチャン日記:第八回「お酒がやめられない」
こんにちは!
新米クリスチャンのリョウです。
SOSTVのHPに来ていただき、ありがとうございます。
このブログは、全くのノンクリスチャンだったボクが、
クリスチャンとして導かれ、その中で見たもの感じたことなどを
気ままに書き綴っていくブログです。
だいたい週一回くらいでゆるく更新していますので、たまに覗いてみてくださいね。
第八回目は、
お酒が大好きだったボクがどのようにしてお酒をやめるに至ったかについて
お話していきます。
◇◇◇◇
以前父親の話の時にお話ししましたが、父親は大酒飲みで、愛煙家でした。
タバコに関しては、臭いが嫌いだったのもあり、
一切興味を持たずに育ちました。
大人に憧れるヤンチャな友達は、未成年なのに陰でこっそりタバコを吸ったりしてましたし、
吸うように勧められたりもしたのですが、断固として断ってきました。
ただ何故かお酒には強い憧れがありました。
酔っぱらって暴れる父を、あれだけ見ていたにも関わらずです。
お酒を飲んで楽しそうにしている親戚の姿をよく見ていたからでしょうか?
とにかくお酒に対しては、
「酔っぱらってみたい」
「お酒が強いってかっこいい」
などと、子どもながらに思っていました。
大学生になると音楽サークルに入りました。
音楽系の人たちは、とにかくお酒が好きな人が多いんです。
飲み会はつぶれるまで飲みました。
ライブの打ち上げでも浴びるほど飲みました。
ライブの最中にお酒を飲みながら演奏したりもしていました。
こうしてお酒に関する色んな失敗をするのですが、
お酒の失敗談は、武勇伝として語られました。
お酒を飲まない人からすると、
お酒を飲んで酔っぱらうことの
何がそんなにかっこいいのか理解できないと思いますが、
大人になりたての学生にとっては、
大人になった感を味わえて、何だか嬉しかったんだと思います。
そんなことがあり、お酒を飲むことは
ボクにとって自然なことになっていきました。
結婚生活では、ほとんど飲むことはありませんでしたが、
たまに飲み会があると、ストレスを発散出来てスッキリしました。
当時は、お酒=楽しい
と思っていましたが、
今思うと、単に「現実逃避が出来る」
といったものだったのだと思います。
やがて30代になり、いくつも仕事を掛け持ちして、
この世の成功を求めるようになると、とにかくお酒の力に頼るようになりました。
コミュニケーションツールとして、そしてストレス発散のため。
そのほかに、飲食業に携わるようになると、
いかにお酒を売るかが、利益に直結してくるので、お酒の勉強もしました。
こうしてお酒は、ボクの人生にとって
仕事にも生活にも欠かせないものとなっていきました。
こうして30代後半になると、
アルコール中毒とまではいかないまでも、依存症に近い状態で、
お酒を飲んでるときだけが、心の落ち着く時間になっていきました。
数年間は、ほぼ飲まない日はなかったように思います。
おかしなもので、もう飲みたくないのに飲み続けちゃうんです。
体は拒否していても、自制心が働かなくなるんですね。
これは一種の自傷行為だと思っています。
この時期はあまりにストレスが多かったので、
「お酒の飲みすぎで倒れて、入院出来たらいいのに…」
と、大真面目に考えていました。
そんな風に生活にお酒が密着していたので、
聖書に出会ってからも、飲酒はやめられませんでした。
というか、最初の方はやめる必要性もあまり感じていませんでした。
さすがに飲む量は減りましたが…。
「聖書にもぶどう酒が出てくるし、泥酔しなければいいでしょう。
仕事にも、付き合いにも必要なツールだし」
と、そんな風に考えていました。
「酔わない程度に飲むのは構わないんじゃないか?」
と思われる方もいるかもしれませんが、
それを自制出来なくなるのがお酒なんですよね。
ちなみに飲酒については、
バイブルアンサーで取り扱っていますので、
気になる方は観てみてください。
↓↓↓
そんなこんなで、教会に通いつつも
特に罪悪感もなく、たまに仕事やプライベートで、
たしなむ程度には飲酒していました。
ですが、そんな教会生活を送っているうちに、
イエス様のご品性がどういうものなのかが、少しずつ分かってきました。
そして酔っている自分というものが、
いかにイエス様の品性から離れているのかも分かるようになってきました。
そう考えるようになるにつれ、お酒があまり美味しく感じなくなるようになりました。
30代のころ毎日飲んでいた好きなお酒を久しぶりに飲んだら、
「こんなにまずい物をよく飲んでいたな…」と思うようになってきました。
とはいえ、自然派ワインなど“いいお酒”なら!と言い訳をして飲み続けてましたが…。
そうして、イエス様をより深く知るにつれ、
「酔っている自分が、イエス様の前に立つことはできない」
と益々感じるようになり、お酒をやめられるように祈るようになりました。
当時のお酒に対する一番の悩みは、
“付き合いの場で、お酒を飲まないとうまく交流出来ない”
というものでした。
社会人になって、お酒の場で親睦を深めることしかしてこなかったので、
どうしていいか、どうお酒を断っていいかも分かりませんでした。
長年の習慣、しかも依存性の高い物をやめるのは、
自分の努力では中々厳しいです。
ボクは日に日に切実に祈るようになっていきました。
そうすると、次第にお酒を飲むとお腹を壊すようになっていきました。
これによって、お酒を強く勧めてくる方に対して、
嫌な思いをさせずに断ることが出来るようになりました。
そしてある暑い夏の日の夜。
仕事を終えたボクは、友人と食事をしていました。
お酒が好きな人なら分かると思いますが、
暑い日の仕事終わりのビールって、美味しいんですよね。
そこでその日も、誘惑に負けてビールを飲もうかと思ったのですが、
なんとなくビールじゃなくて、炭酸水を代わりに飲んでみました。
ちなみにその日までボクは味のない炭酸水は苦手でした。
ですがその炭酸水を飲んだ瞬間、
ボクの心にこびりついていたお酒に対する執着みたいなものが消えていくのが分かりました。
炭酸水に効果があったわけではなく、お酒を選ばなかったその瞬間、
聖霊様がお酒に対する想いを洗い流してくださったのではないかと思います。
実際その後、「お酒を飲みたい」
と思うことはなくなりました。
お酒に全く興味がなくなりました。
あまりにあっさりお酒をやめたので
なんでお酒やめたの?
どうやってやめたの?
とよく聞かれるのですが、
「神様が興味をなくさせてくださった」
としか言えなくて、
いつも説明に困ります。
もし、このブログを読んでいて
お酒をやめられないで悩んでいる方がいたら、
イエス様をもっと知っていただきたいと思います。
つい飲んでしまう自分を見るのではなく、
誘惑してくるお酒を見るのではなく、
イエス様を見ると、興味がなくなります。
そして祈ってください。
こうした祈りは、必ず叶えて下さると信じています。
ボクもまだまだひよっこクリスチャンですが、
こうして一つずつ、でも確実に
神様が罪深い自分を作り変えてくださる恵みに
感謝します。
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リョウ☆プロフィール
都内にて様々な仕事を経験。
聖書との出会いにより人生を見つめ直し全ての仕事を辞め田舎への移住を決断。
2020年12月、ひとりでの信仰・聖書研究に限界を感じより真理を学びたいと、SOSTVの門を叩く。
現在、SOSTVあきら牧師のもとで勉強中の新米クリスチャン。
リョウがナビゲーターを努める番組
【聖書の疑問に聖書で答える:バイブルアンサー】