新米クリスチャン日記:第九回「お祈りの仕方がわからない」
こんにちは!
新米クリスチャンのリョウです。
SOSTVのHPに来ていただき、ありがとうございます。
このブログは、全くのノンクリスチャンだったボクが、
クリスチャンとして導かれ、その中で見たもの感じたことなどを
気ままに書き綴っていくブログです。
だいたい週一回くらいでゆるく更新していますので、たまに覗いてみてくださいね。
第九回目は、
「祈り」についてです。
聖書的な正しい祈りの方法や、祈る理由などについては、
SOSTVで発行している「人生を変える祈り」という書籍に詳しく書いてありますので、
そちらをご覧ください。
今回は、ノンクリスチャンだったボクが、
祈りについてどう考え、歩んできたかについて
お話ししたいと思います。
◇◇◇
聖書に出会った最初のころは、
単なる興味本位と、スピリチュアルの延長のように考えていたので
祈りについて考えてもみませんでした。
なので記憶が定かではないのですが、
たぶん最初にまともに祈ったのは、
最初の悔い改めの時だと思います。
当時祈り方もよくわからなかったので、
ただただ、神様に縋るように祈ったのを覚えています。
それから神様がいることを確信し、“たまに”祈るようになりました。
しっかり習慣になるまで、結構時間がかかった方だと思います。
最初は、どうやって祈るのかよくわからなかったので、
祈り方をインターネットで調べてみたりしましたが、
よくわからず、
映画ではたしか十字を切っていたな…
手の形はどれが正しいんだろう?
などと試行錯誤していました。
祈る内容も、あんまり記憶にはないですが、
他者の為に祈るようなことはほぼなかったと思います。
もっと正直に告白すると、祈ってる最中
思っていることを言葉にうまく出来なくて、
「神様!言葉にはうまくできないですが、分かってくださいますよね!?」
と思っていたり、
目をつむって祈っていたら、
気が付いたら寝てしまって朝になっている、なんてことも多かったです。
とはいえ、世俗の成功や物質的な豊かさを祈るようなことはなく、
神様と繋がっていたくて、話すこともままならない子供のように
神様に話しかけていた様な気がします。
そんな風に明確な祈りもなく、なんとなく「祈っていた方がいい」
くらいの気持ちだったので、実際に祈りが聞かれるというのは、あまり信じていませんでした。
むしろ、祈りが聞かれなかったら、芽生えたばかりの信仰が崩れそうで怖くて、
明確な祈りを避けていた部分もありました。
悔い改めの祈り以外で、初めて祈りが聞かれたのを体験したのは、
“聖書の預言を聞けるカフェ”に行った時のことでした。
聖書を読み始めていて、SOSTVにも出会いはじめのころ、
「預言者が私たちに預言をしてくれるカフェがあるから行こう」と、友人に誘われました。
NOと言えない日本人代表の様な性格のボクなので、
「それってどうなんだろう?」
と思いつつ、まだ真理に対する知識もなかったので、そのカフェに行くことにしました。
ただ、どうしてもやっていることが真理とは思えなくて、
カフェに向かう道中、神様に切に祈りました。
「神様、ボクはまだ真理が何なのかよくわかりません。
預言カフェの人たちは自分たちが真理だと言っています。
ボクには判断が出来ないので、ボクでも分かるように、何が正しいのか教えてください」
こうして預言カフェに到着すると、
預言者と言われている方と、そのお弟子さんにボクに対する預言をしてもらいました。
「何か悩みがある?」
と言われたので、当時悩んでいたことを話しました。
そうすると、
「『〇〇をした方がいい。このように考えるといい』
と、神様が言っている」と言われました。
その瞬間、無知なボクでも悟りました。
「これは神様ではない!」
なぜならもうすでにボクは、言われたことをやっていたし、
考え方もその様にしていたからです。
神様なら、当然ボクが悩みながらも自分なりに努力していたこと、
考えていることを知っている筈なのに
神様と自称している声は、全くボクのことを知りませんでした。
もしかしたら神様が見えないようにしてくださったのかもしれません。
こうして祈りによって守られた経験は、
ボクに祈りの力について、確信を与えました。
それからしばらくして教会に通うようになり、
ようやくそこで“こうやって祈ればいい”というのが少し分かるようになってきました。
でも、いつも声に出さず、心の中でだけ祈っていたので
まだまだ言葉にならないような祈りも多く、
「とてもじゃないけど人前で祈るなんてこと出来ない!」
と思っていました。
もしかしたら教会で急に「祈って」といわれるかもしれないと思うと怖くなり
他の人の祈りを聞いて、
こうやって祈るのか! と勉強したり
何度も何度も練習して、
間違えないように正しく祈らなきゃ!
などといつも思っていました。
当時は、
完璧主義な気質と、
「かっこよく見せたい」
という、自我が強かったんですね。
そんな風に考えていた頃、
SOSTVで配信されたソン牧師の説教に、
祈りについての説教があり、
「えええええ!!!そうなの???」
と、驚いたのを覚えています。
今では家で、この説教のように祈ることが当たり前になりましたが、
最初は中々うまくできませんでした。
そして次に、教会にいる姉妹から、
毎晩夜8時にオンライン祈祷会をやろう。
という提案がありました。
教会の兄弟姉妹とお話したいけど、
ボクのヘタクソな祈りをするの恥ずかしいな、緊張するな。
などと思い、
毎回参加する時は緊張しつつ、満を持して参加していました。
お話した後みんなで順番に祈るのですが、
信仰の先輩方の祈りがみんな明確で、美しくて、他者の為の祈りで、
ボクの拙い祈りと段違いで、
毎回緊張して、脂汗かきながら祈っていました。
でも、そのおかげで
祈りが習慣になり、自分の想いをしっかり声に出して祈れるようになりました。
そして、祈りの力を何度も体験するようになりました。
祈祷会を毎晩開催してくださる姉妹に感謝です。
今では神様と会話するように、祈る時間が一日で一番喜びと平安に満ちた時間になっています。
朝晩の祈りと、食事の祈り以外にも、
運転する前、人に会う前、仕事の前、ふと心に誘惑が来たときなど
事ごとに祈っています。
特にボクの罪に関する問題、迷いに関する祈りには、驚くほど早く答えが帰ってきます。
そのたびに、神様が今も生きていて、
そばにいてくださることを感じ、感謝しています。
いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 すべての事について、感謝しなさい。
Ⅰテサロニケ 5:16-18
これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。
今のこの世の中、
心が揺り動かされることも多いですが、そんな時、理屈や理論で戦うのではなく、
絶えず祈り、神様に頼って生きていきたいです。
お祈りします。
天の父なる神様
今日このように祈りについて証出来たことに感謝します。
世の中は神様を誤解している人も多く、
そのために心が渇き、傷ついている方が多くおられます。
しかし神様は今もなお、生きており
神様を知らない人たちの為にも働いておられます。
どうか彼らに、神様の愛が伝わりますように
小さくて弱い私たちを遣わしてください
彼らが神様に出会い、共に祈り、賛美出来るようにしてください。
苦難の夜も、祝福の朝も、
神様だけを見つめ、祈ることが出来るようにしてください。
愛する主、イエス・キリストの御名によってお祈りします。
アーメン
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リョウ☆プロフィール
都内にて様々な仕事を経験。
聖書との出会いにより人生を見つめ直し全ての仕事を辞め田舎への移住を決断。
2020年12月、ひとりでの信仰・聖書研究に限界を感じより真理を学びたいと、SOSTVの門を叩く。
現在、SOSTVあきら牧師のもとで勉強中の新米クリスチャン。
リョウがナビゲーターを努める番組
【聖書の疑問に聖書で答える:バイブルアンサー】