【エノクーこの地で天を生きた人ー】5分で聖書のポイントが分かるシリーズ
エノクという人をご存じですか?
創世記にでてくる人類の先祖の一人です。
洪水前の堕落した時代に生きた人です。
そして、現代の私達のモデルとなる人です。
何故でしょうか?
彼が生きた時代と、私達の生きている時代は、驚くほど似ているからです。
彼が生きた時代は、最も世界が堕落した時代でした。
神様の知識を保ったセツの子孫が、神様に背を向けたカインの子孫と交わる事によって、
感化され、真理を持っている人が、本当に少ないそんな時代でした。
神様の裁きを直前にしている時代でした。
人々が、食い、飲み、めとり、とつぎする事だけに興味を示し、
永遠の世界を忘れてしまっている時代でした。
しかし、そのような中でエノクは、永遠の世界、キリストのような品性のみを求めた人物です。
神様を見ることができる、清き品性をもった人物です。
イエス様は、
心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。(マタイ 5:8)
と言われましたが、まさにエノクは、そのような人物でした。
エノクは、黙示録に出てくる14万4千人のひな形ともいえる人物であり、
彼には、キリストの再臨のメッセージが託されていました。
「アダムから七代目にあたるエノクも彼らについて預言して言った、『見よ、主は無数の聖徒たちを率いてこられた。それは、すべての者にさばきを行うためであり、』」
ユダの手紙 14,15
彼が伝えたメッセージは、今、まさに実現を目前としており、私達が伝えるべきメッセージです。
エノクの時代よりも、はるかに、イエス様の再臨が目前にせまっているからです。
また彼がもっていた品性は、神様が私達に期待される品性です。
エノクについて、このように言われています。
信仰によって、エノクは死を見ないように天に移された。神がお移しになったので、彼は見えなくなった。彼が移される前に、神に喜ばれた者と、あかしされていたからである。
へブル人への手紙 11:5
聖書のなかには、多くの信仰の偉人たちが出てきます。
しかし、神に喜ばれた者という称号をもっているのは、エノクだけです。
皆さんは、神様に喜ばれる人になる事を望まれるでしょうか?
私達の心にそのような思いが溢れているでしょうか?
神様に喜ばれる存在、いったいエノクは、何をしたのでしょうか?
エノクの何が、神様を喜ばせたのでしょうか?
人よ、彼はさきによい事のなんであるかをあなたに告げられた。主のあなたに求められることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか。
ミカ書 6:8
エノクは、まさにこのような生き方をしたのです。
300年、神様と共に歩みました。
神様と共に歩むそれは、決して、象牙の塔に籠る事ではありません。
むしろ、日常生活を神様に捧げる事です。
共に歩むという表現は、その交わりの親密さを表しています。
エノクは、神様を、人生のパートナーとしました。
どれほど、親密な祈りがなされた事でしょう。
その交わりは、彼を、神様のような品性をもった人に再創造し、
いつしか、この世に生きていながら、この世に属さない人になりました。
この地上で、すでに天国を生きていた人がエノクです。
ある日、いつものように、主と共に歩んでいる時に、彼に、天の門が開かれました。
彼と天との距離は、わずか一歩だったのです。
泥の池にあって、その身を汚すことのない、蓮の花のように、
だれも彼の品性を汚すことができませんでした。
再臨を目前にしている今日、確かにエノクのような人々が出現するでしょう。
ただ神様に喜ばれる品性を求める人々
世界の全ての人に認められる事よりも、ただ一人、主と共に歩むことを求める人々
それが、エノクのような人々です。