【再臨の喜び】5分で聖書のポイントが分かるシリーズ
聖書を読むと信仰のために、イエス様への愛のために命も惜しまず、献身した人々がでてきます。
そのような強い信仰と献身を支えていたものは、なんだったのでしょうか?
それは、神様の約束です。
困難や苦難がないのではなく、その困難の中にあって、主が共にいて下さるという約束です。
ヤコブよ、あなたを創造された主はこう言われる。
イスラエルよ、あなたを造られた主はいまこう言われる、
「恐れるな、わたしはあなたをあがなった。
わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ。あなたが水の中を過ぎるとき、わたしはあなたと共におる・・・
イザヤ書 43:1,2
この神様の共にいてくださるという約束の究極が、イエス様の再臨です。
旧約聖書は、イエス様が人となってこの地に救い主として誕生されるという事、
そして十字架によって罪を贖ってくださるという約束が中心テーマです。
新約聖書は、そのイエス様が、旧約で預言されたメシアである事を確認し、
そして、再び来られるという事、つまり再臨が中心テーマです。
イエス様が再び来られるなら、すべての罪と悲しみと死の問題に永遠に終止符を打たれます。
そして、私達が想像することもできない幸福な世界の歴史がはじまります。
このような再臨の希望についての言及は、新約聖書には、300回以上でてきます。
それほど重要な事なのです。
ですから、イエス様はこのように言われました。
「あなたがたは、心を騒がせないがよい。
神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、すまいがたくさんある。
もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。
あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、
ヨハネによる福音書 14:1-3
あなたがたをわたしのところに迎えよう。
わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。
聖書は、私達ひとりひとりの家が、そこに準備されていると語ります。
ところで、イエス様は私達の住む場所を用意するのに、それほどまでに時間がかかるのでしょうか?
イエス様は、すぐにでも私達を迎え入れたいのではないでしょうか?
主の再臨の時にある復活を信じて、死んでいった義人達と早く再会したいのではないでしょうか?
イエス様が今尚、来られない理由は、私達の準備がまだ出来てきていないからです。
私達を迎える家は、完成していても、私達の心が準備されていないのです。
イエス様が住んでくださる心の場所がないのです。
再臨の前に、まず私達の心の宮にイエス様をお迎えしなくてはなりません。
ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。
ペテロの第二の手紙 3:9
ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、
あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。
これは、つまり、私が救われるために、忍耐してくださっているというのです。
まだ、永遠の福音が届いていない人がいるので、忍ばれているのです。
私達が毎日、生きているなかで、最大の関心事は何でしょうか?
最大の希望は、何でしょうか?
私達は、心からイエス様の再臨を待っているでしょうか?
その事が何よりの喜びであり、希望でしょうか?
私達は、いつか来る再臨を待つだけではありません。
その日が早く来るように、すべき働きがあります。
その日が少しでも早く来るように、福音を伝える使命が一人一人にあるのです。
このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、
神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。
ペテロの第二の手紙 3:11,12
その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。
文語約では、12節はこのようになっています。
“神の日の来るを待ち之を速かにせんことを勉むべきにあらずや、”
神の日が来るのを待ち、これを早めるために努めなさいと言っています。
再臨を待ち望んでおられますか、
そのために準備し、それを心待ちにし、それを早めることが私達の使命です。