【神様の公平】5分で聖書のポイントが分かるシリーズ
神様を信じるかなり多くの人が、心の中に一つの疑問を持っていることがあるようです。
それは、神様は不公平ではないかということです。
神様が不公平だと、はっきり言いはしないかもしれませんが、
何となくそう感じている人がおられます。
今の時代だけの話ではありません。
罪の結果として、悲しみと苦痛の歴史が始まって以来、
いつも神様はそのような誤解を受けて来られたのです。
そういう事実を適切に表現しているみ言葉が詩篇73篇です。
神は正しい者にむかい、心の清い者にむかって、まことに恵みふかい。
詩篇 73:1-6
しかし、わたしは、わたしの足がつまずくばかり、わたしの歩みがすべるばかりであった。
これはわたしが、悪しき者の栄えるのを見て、その高ぶる者をねたんだからである。
彼らには苦しみがなく、その身はすこやかで、つやがあり、
ほかの人々のように悩むことがなく、ほかの人々のように打たれることはない。
それゆえ高慢は彼らの首飾となり、暴力は衣のように彼らをおおっている」。
現実の世界では、神様を信じない人の方が、万事がうまくいっているように見えます。
反対に、神様を一生懸命信じてきたのに、経済的な困難に陥ったり、
また病気になったり、苦痛が来る時があります。
そのために、信仰者の中に疑いが起きるのです。
疑問が生じるのです。
そこで詩篇73篇12節から14節にはこう言われています。
「見よ、これらは悪しき者であるのに、常に安らかで、その富が増し加わる。
詩篇 73:12-14
まことに、わたしはいたずらに心をきよめ、罪を犯すことなく手を洗った。
わたしはひねもす打たれ、朝ごとに懲しめをうけた」。
このように、一生懸命信じている人には、むしろ苦難が生じ、それが心を痛めるのです。
どの時代にも、信仰者を苦しめた二つの問題があります。
第1は、神様の御言葉通りに生きることにどんな益があるのか、
主の御心に生きることに何の意味があるのか?
ということです。
2番目に神様は本当に私に関心を持っておられるのか、本当に私を愛しておられるのか、
神様は公平なのか?
そんな心が起こるのです。
そこで同じ詩篇73篇16節から19節にこう言われています。
「しかし、わたしがこれを知ろうと思いめぐらしたとき、
詩篇 73:16-19
これはわたしにめんどうな仕事のように思われた。
たしが神の聖所に行って、彼らの最後を悟り得たまではそうであった。
まことにあなたは彼らをなめらかな所に置き、彼らを滅びに陥らせられる。
なんと彼らはまたたくまに滅ぼされ、恐れをもって全く一掃されたことであろう」。
これはどんな意味ですか?
神様の報いは来世にあります。
私たちが現在見えることだけで判断しないでください。
私たちはこれをしばしば忘れてしまうのです。
義人たちの報いは永遠の命であり、悪人の報いは永遠の滅亡になるのです。
この二つの違いは現世では目に見えないのです。
ですから、現世の祝福で判断しないでください。
神様を誤解しないでください。
神様はほんとうに公平な方です。
それぞれの置かれた環境の中で、公平に審判をしてくださるかたです。
これまで皆さんに与えられた祝福を数えてみて下さい。
神様はどれほど公平でしょうか。
詩篇73篇24節、25節にこう語られています。
「あなたはさとしをもってわたしを導き、その後わたしを受けて栄光にあずからせられる。わたしはあなたのほかに、だれを天にもち得よう。地にはあなたのほかに慕うものはない」。
詩篇 73:24,25
どんなに苦しい状況でも、天には私達が慕う主がいてくださるのです。
その主を信頼するなら、その主の公平さを理解するなら、不平は消えてしまいます。
こんな賛美歌があります。
日ごと主イエスによりすがりなば おそれはあらじたよれただイエスに ただ主にすがり日ごとに夜すがら 御手にゆだねておそれずすすまん (第2讃美歌186番)
これは何のことでしょうか?
神様は私たちの最善を知っておられます。
私たちが耐えられないような試錬に会わせることはないと言われました。
世の中が不公平に見えても神様を信頼してください。
神様は公平な方です。
主がくださった祝福を毎日数えてみてください。
不満と疑惑を投げ捨ててください。
信仰をお持ちください。
主は皆さんを愛しておられます。