【新しい人生の秘訣】5分で聖書のポイントが分かるシリーズ
あなたは、人生をやり直せたらと思いますか?
多くの人が、人生を新しくやり直せたらと思っているかもしれません。
特にクリスチャンなら、生まれ変わって新しく生きることは、
最も根本的な願いではないでしょうか?
クリスチャン生活とは昔の自分が死んで、
神様の中で新しい人生を生きることを意味します。
昔と今が同じであれば、それは
クリスチャンとしての喜びを失ってしまいかねません。
ところでどうすれば新しい人生を生きられるでしょうか?
新たな生命を受けるとは何を意味するのでしょうか?
また、私たちの昔の人生が死ぬとは何を意味するのでしょうか?
どうすれば私たちの生活が新しくなるのでしょうか?
これはただの象徴的な話しでしょうか?
それとも、実際的な経験でしょうか?
多くのクリスチャンはこのように考えています。
イエス様が罪のない生涯を生きられたので、
イエス様を信じさえすれば、
その義が私の義になり、私はイエス様のような生涯を生きなくても済む、
ただ信じさえすればいいのだと、
そのように思う人がたくさんおられます。
キリストが私の義になるというのは、その通りです。
信じればよいというのもその通りです。
しかし、実際に信じるとは、どういう事でしょうか?
また、キリストの義が与えられるというのは、どういう経験なのでしょうか?
キリストの義が私たちに与えられるというのは、義が心の中に根付くことです。
主は、私たちを義人に創り変えてくださる方です。
神様は創造主です。
クリスチャンの新しい生命は、主が求める人に与えてくださるものです。
それが新しい人生の始まりです。
この新しい生命は、死から出発します。
天から来る新しい生命が私の中に入るためには、
過去の私の生涯の目的、価値観が終わらなくてはいけません。
種は地に落ちて死ぬと芽が出てきます。
天の生命の法則も同じです。
聖書ではこのように言っています。
「よくよくあなたがたに言っておく。
ヨハネの福音書 12章24~26節
一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。
しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。
自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、
それを保って永遠の命に至るであろう。
もしわたしに仕えようとする人があれば、その人はわたしに従って来るがよい。
そうすれば、わたしのおる所に、わたしに仕える者もまた、おるであろう。
もしわたしに仕えようとする人があれば、その人を父は重んじて下さるであろう」。
ここに命の法則があります。
神様の法則は世の法則とは違います。
罪の問題の解決は、私たちの死から始めなければなりません。
その死はもちろん、まずキリストの十字架から始まることになります。
しかし、私も主と共に死ななければなりません。
私の過去、古い生涯に死ななければなりません。
死んだ人の足を蹴っても反応しません。
そのように過去の私の生涯がもう反応しないほど、
私は過去の生涯に死ななければなりません。
聖書はイエス様の十字架と共に、
私たちも一緒に死んだことをこのように表現しました。
これがクリスチャンの生涯です。
生きているのは、もはや、わたしではない。
ガラテヤ人への手紙 2章20節
キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。
しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、
わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた
神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。
そうです。
聖書は私たちがイエス様と共に十字架で死ななければならないと言います。
それは、何が死ぬことなのでしょうか?
自己中心主義、プライド、歪んだ自己愛が死ななければなりません。
その方法として、ローマ6章に、
私たちは死んだことを認めなければならないとあります。
つまり、神様の約束を信頼することです。
私の考え、感覚ではなく神様のみ言葉を信頼することです。
私達がバプテスマの時にそうしたように、水の中にはいり死ぬ経験も、
水からあがるときも、ひとりではなく、手をとってくださるイエス様がおられます。
そのイエス様 に、毎日の歩みを委ね、信頼するなら、
確かに新しい人生がはじまるのです。