【隠された宝の見つけ方】5分で聖書のポイントが分かるシリーズ
聖書の中に、畑に隠された宝のたとえ話ができてきます。
一人の農夫が借りた土地で、一生懸命はたらいています。
おそらく、小作人なのでしょう。
すると、単なる石ではない、金属音がして、
掘ってみると箱の中に宝を発見します。
そして、その宝を土のなかに戻して、その土地を全財産でもって買うのです。
当時の社会では、金持ちが自分の財産を守るために、
土の中にそれを隠しておくことがよくありました。
ところが、持ち主が死んだり、そういった事によって、宝がそのままになって、
それを別の人が発見するという事がありました。
この例えは、まさにそのような背景をもとに語られました。
ところで、この農夫は、何故、全財産を果たしたのでしょうか?
土地の金額ではなく、全財産というところが、この例えの大事な所です。
この例えで宝は真理を表しています。
その真理を得るためには、私達の心と生活の全てをイエス様に明け渡す必要があります。
真理を得るために、必要なのは、とびぬけた才能や、知性ではなく、
むしろ、自分の人生の全てを捧げることが必要だという事です。
自分にとって以前、大切にしていた考え方や、人生の価値観を捧げることが必要なのです。
そうでなければ、この宝の価値に気が付くことができません。
農夫が畑を耕したとき、宝に気がついたように、私達も悔い改めによって、
心を耕す必要があります。生まれもったままの心では、真理の価値に気が付かないからです。
生れながらの人は、神の御霊の賜物を受けいれない。
コリント人への第一の手紙 2:14
それは彼には愚かなものだからである。
また、御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない。
聖書が素晴らしい本であると感じる人は、多くいます。
しかし、その宝を得るために、すべてを懸けてもよいと思う人は、少ないのです。
イエス様の当時、多くの役人たちは、イエス様がメシアであると考えました。
しかし、役人たちの中にも、イエスを信じた者が多かったが、
ヨハネによる福音書 12:42-43
パリサイ人をはばかって、告白はしなかった。
会堂から追い出されるのを恐れていたのである。
彼らは神のほまれよりも、人のほまれを好んだからである。
人の賞賛を求める心によって、真理が隠されてしまう事があります。
既存の組織や自分の役人としての立場のほうが、真理であるイエス様より大切になってしまったのです。
そういった利己心によって、真理の宝が隠されてしまうことがあります。
私達は、永遠という観点からものを観なくてはいけません。
わずか、数十年の余生を人から賞賛されたからとて、何になるのでしょうか?
立派な地位や、富をもっていたとしても、それが何になるのでしょうか?
パウロは、エリートでしたが、このように言っています。
しかし、わたしにとって益であったこれらのものを、キリストのゆえに損と思うようになった。
ピリピ人への手紙 3:7-8
わたしは、更に進んで、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、
いっさいのものを損と思っている。
キリストのゆえに、わたしはすべてを失ったが、
それらのものを、ふん土のように思っている。
それは、わたしがキリストを得るためであり、…
彼にとってイエス・キリストを知ることは、
彼のもっていた全てを捨てても価値のあるものだと言っているのです。
彼は、彼が求めてやまない宝を見つけたのです。
イエス様は、このように言われました。
たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。
マタイによる福音書 16:26
また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。
私達の人生で、もっとも大事な事はなんでしょうか?
真理という宝を得るために、全てを明け渡す覚悟があるでしょうか?