【罪の奴隷からの解放】5分で聖書のポイントが分かるシリーズ
私達は、自覚のあるなしにかかわらず、大きな戦いの中に生きています。
善と悪の戦い、光と闇の戦いの中に生きています。
そして、この戦いは、今、私達の心の中で毎日、
繰り返されています。
聖書は、自分の心のなかで、二つの自分が戦うというのです。
特に、イエス様に従う事を望む人にとって、この戦いは、現実の戦いです。
わたしは自分のしていることが、わからない。
ローマ人への手紙 7:15
なぜなら、わたしは自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎む事をしているからである。
自分が欲している事、望んでいることではなく、
本当は望んでいない事、憎む事をしているとは、どういう事なのでしょうか?
クリスチャンは真理を知っているので、
何が正しいかを良く知っています。
何が善であるかを知っています。
ところが、
こうすべきと、現実の間に差があるというのです。
わたしは自分のしていることが、わからない。
ローマ人への手紙 7:15,19-24
なぜなら、わたしは自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎む事をしているからである。
すなわち、わたしの欲している善はしないで、欲していない悪は、これを行っている。
もし、欲しないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、
わたしの内に宿っている罪である。
そこで、善をしようと欲しているわたしに、悪がはいり込んでいるという法則があるのを見る。
すなわち、わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、
わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、
そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。
わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。
だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。
パウロは、どうすれば、この苦しみから逃れられるのか?とは、問いませんでした。
誰が、私を救ってくださるだろうか?と叫びました。
その答えは、ローマ書8章にあります。
こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。
ローマ人への手紙 8:1-4
なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、
罪と死との法則からあなたを解放したからである。
律法が肉により無力になっているためになし得なかった事を、神はなし遂げて下さった。
すなわち、御子を、罪の肉の様で罪のためにつかわし、肉において罪を罰せられたのである。
これは律法の要求が、肉によらず霊によって歩くわたしたちにおいて、満たされるためである。
罪の奴隷状態である私達は、自分の力で、その力から逃れることはできません。
それで、罪よりも強い方が救い主として、この地に来られました。
罪の力は、死なので、死よりも強い方、命の君であられる、永遠の命であるイエス様が、
この世界に、来られたのです。
キリスト・イエスにある御霊の法則を生きることは、
イエス・キリストの助けによって、御霊の助けによって、誰に仕えるかを選ぶ事です。
私達は、善を選ぶ力のないものです。
しかし、救い主に助けを求めることは、できます。
誘惑の力に負けそうなとき、誘惑を見るのではなく、自分の力なさを見るのではなく、
イエス・キリストに助けを求めてください。
その場で、跪き、祈って下さい。
どのように罪に勝利するかではなく、誰が救い主なのかを思い出してください。
私達が、罪の奴隷状態から、解放される方法は、一つです。
それは、イエス・キリストと1つになることです。
「真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」とありますが、
イエス・キリストが真理です。(ヨハネ2 )。
イエスの御霊を受けること、それが勝利の方法です。
聖霊を受けることが、私達の心のなかの戦いに勝利できる方法です。