【現代の偶像礼拝】5分で聖書のポイントが分かるシリーズ
イスラエルの歴史において、彼らが犯した罪のほとんどは、偶像礼拝と関わりがありました。
神様を正しく礼拝しないとき、あらゆる罪に陥るからです。
神様が、下さった十戒の第二の戒めは、偶像礼拝に関する禁止です。
現代のクリスチャンが、偶像を作ったり、それを神様だとすることは、
考えにくいと思います。
クリスチャンの家に、金の子牛などがある事は、ありません。
しかし、現代の偶像は、目に見えないものです。
使徒ヨハネは、旧約の時代だけでなく、新約の時代においても、
偶像礼拝の危険性を理解していたので、このように言いました。
子たちよ。気をつけて、偶像を避けなさい。
ヨハネの第一の手紙 5:21
現代の目に見えない3つの代表的な偶像があります。
一つは、神様の言葉に従うことを良しとしないプライドです。
神様に背いたイスラエルの初代の王、サウルについてこう言われています。
そむくことは占いの罪に等しく、強情は偶像礼拝の罪に等しいからである。
あなたが主のことばを捨てたので、主もまたあなたを捨てて、王の位から退けられた」。
サムエル記上 15:23
次に貪欲です。
だから、地上の肢体、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪欲、
コロサイ人への手紙 3:5
また貪欲を殺してしまいなさい。
貪欲は偶像礼拝にほかならない。
貪欲が偶像礼拝だとあります。
貪欲とは、何でしょうか?
それから人々にむかって言われた、「あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい。
ルカによる福音書 12:15
たといたくさんの物を持っていても、人のいのちは、持ち物にはよらないのである」。
イエス様もこように言われました。
貪欲とは、満足しない心の事です。
心の隙間をイエス様、以外のもので満たそうとすることです。
そこで、パウロは、このように愛する弟子のテモテに書き送りました。
しかし、信心があって足ることを知るのは、大きな利得である。
わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。
また、何ひとつ持たないでこの世を去って行く。ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである。
富むことを願い求める者は、誘惑と、わなとに陥り、
また、人を滅びと破壊とに沈ませる、無分別な恐ろしいさまざまの情欲に陥るのである。金銭を愛することは、すべての悪の根である。
テモテへの第一の手紙 6:6-11
ある人々は欲ばって金銭を求めたため、信仰から迷い出て、
多くの苦痛をもって自分自身を刺しとおした。
しかし、神の人よ。あなたはこれらの事を避けなさい。
そして、義と信心と信仰と愛と忍耐と柔和とを追い求めなさい。
私達は、足る事をしらなくてはいけません。
それを知らないならば、気づかずに貪欲になってしまいます。
3つ目の偶像は、人の評価です。
人に変に思われるのが、いやで、仲間外れになるのが嫌で、人からの評価が大事で、
イエス様を捨ててしまうことさえあるのです。
不貞のやからよ。世を友とするのは、神への敵対であることを、知らないか。
ヤコブの手紙 4:4
おおよそ世の友となろうと思う者は、自らを神の敵とするのである。
これは、どういう意味でしょうか?
私達は、困っている人を助け、友となり、この世で光として生きなくてはいけません。
しかし、世の生き方に同調してはいけないのです。
私達が世の生き方を採用するならば、それは、この世の君であるサタンの生き方に倣うことです。
ですから、それは、神様への敵対になるのです。
良い人と思われようとしたり、人から褒められる事、感謝される事が偶像になっては、いけません。
そうではなく、神様の目を意識して生きるべきなのです。
それだから、愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。
コリント人への第一の手紙 10:14