【あなたをつかまえる手】5分で聖書のポイントが分かるシリーズ
私達は、毎日多くの選択をしています。
ある研究結果によるとその数は、一日、3万5000にも及ぶといいます。
それらの選択は、私達の意志が行っています。
何をどう選択するか、それが意志の働きです。
この意志、選択の力は私達の信仰生活において重要です。
私達の信仰の戦いは、この心のなかで行われ、意志、
つまり何を選択するかによって、その勝敗が決定するからです。
この戦いは、現実に心のなかで毎日行われています。
この戦いに勝利することは、どれほど大事でしょうか?
箴言には、こうあります。
怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は城を攻め取る者にまさる。
箴言 16:32
ところで問題は、罪のよってこの意志の力が弱まってしまい、
自分の意志の力だけでは、罪に勝利できないことです。
本当は、子供たちに優しくしたいのに、ついイライラしてしまったり、
仕事でミスを連発する部下に嫌味な言い方をしてしまったり、そういう事がおきてしまいます。
一年の最初に、素晴らしい目標と抱負をもったのに、半年もすると、
どんな目標だったかを忘れてしまっていることさえあります。
今年こそ、今月こそ、今日こそ、そうやって、月日だけが流れてしまうこともあります。
ではどうすれば良いのでしょうか?
それは、意志の正しい使い方を知る事です。
決して、自分の意志の力で誘惑を退けられると思わないで下さい。
同時に、自分の意志が弱いから信仰さえ持てないなどと失望しないで下さい。
私達の意志で誘惑に打ち勝つのではありません。
私達が戦うのではなく、主が戦われるからです。
羊は、どうやっても狼には勝てません。
羊のすることは、羊飼いの声に聴き従うことであり、
羊飼いが狼と戦うのです。
ですから、私達のすることは、主に助けを求めることです。
これは、どんな人でも、どんなに意志が弱くても、むしろ、意志が弱いからこそできる事です。
御言葉にこうあります。
もしあなたがたが主に仕えることを、こころよしとしないのならば、
ヨシュア記 24:15
あなたがたの先祖が、川の向こうで仕えた神々でも、
または、いまあなたがたの住む地のアモリびとの神々でも、
あなたがたの仕える者を、きょう、選びなさい。
ただし、わたしとわたしの家とは共に主に仕えます」。
漫然と歩みながら、天の港にたどり着くことはありません。
私達は、選択をしなくてはいけないのです。
その選択は、今日、だれに仕えるかを選ぶこと、主に助けてくださいと叫ぶことです。
これは、どんな人でもできることです。
ペテロが波を見て恐れ、おぼれた時、彼は、自分で泳ごうとしませんでした。
そうではなく、このように叫びました。
しかし、風を見て恐ろしくなり、そしておぼれかけたので、
マタイによる福音書 14:30
彼は叫んで、「主よ、お助けください」と言った。
短くも、切実な祈りです。主よ、お助けください!
英語では、Lord, save me
主よ、お救いください。
このような祈りに関して、イエス様は、どうされたのでしょうか?
イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて言われた、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」。
マタイによる福音書 14:31
すぐにという部分が強調されています。
イエス様は、すぐに助けてくださるのです。
そして、私達を捕まえてくださいます。
皆さんを捕まえているものは、なんでしょうか?
世の煩いですか?人からよく思われることですか?
なんでも自分の思い通りにしようとする事ですか?
どんな試練や誘惑であっても、【主よ、お救い下さい!】と主に助けを求めるなら、
イエス様は、すぐに手を伸ばして、私達をつかまえて下さいます。
今日、だれに仕えることを選ぶでしょうか?
意志の力が弱く、信仰の炎が小さくなってきていますか?
イエス様に助けを求めてください。
主よ、お救い下さいと絶えず、叫んでください。
十字架で表された愛を、見上げてください。
主への愛が動機となって、はじめて新しい、意志の力を得ることができます。
あなたをつかまえて下さる、その御手を疑わずに信頼してください。