【神様を信じる理由】5分で聖書のポイントが分かるシリーズ
皆さんは、何故、神様を信じていますか?
信じるとは何でしょうか?
神様を信じているというのは、どういう事でしょうか?
神様の存在を信じる事、それは、もちろん大切ですが、
実は、サタンでさえも神様の存在は信じています。
あなたは、神はただひとりであると信じているのか。
それは結構である。悪霊どもでさえ、信じておののいている。ああ、愚かな人よ。行いを伴わない信仰のむなしいことを知りたいのか。
ヤコブの手紙 2:19-20
信仰には行いが伴うと聖書は、言っています。
もちろん行いによって救いを得ることができるというのは聖書の教えではありません。
救いは、恵みにより信仰によるからです。
しかし、信仰は行いと切り離すことができません。
そして、行いと愛を切り離すこともできません。
私が誰かを愛しているという場合、そこには必ず行動が伴うからです。
私はあなたを愛しています。
しかし、あなたのためには、なんの行動もするつもりはありません。
こういった事には、無理があるのです。
もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。
ヨハネによる福音書 14:15
私たちの信仰 行動は
愛が信仰の動機になっているでしょうか?
それとも、神様からの何かの賜物や祝福が動機となっているでしょうか?
神様が、一番、大切にされるところはそこです。
ヨブという義人がいました。
しかし、サタンはヨブの信仰の動機は、神様からの祝福だと訴えました。
それで、ヨブに信仰の試練が訪れます。
ヨブは、財産、家族、健康、名誉、友人、実に祝福の全てを失います。
しかし、彼は、このように言いました。
このときヨブは起き上がり、上着を裂き、頭をそり、地に伏して拝し、
そして言った、「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。
主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。
ヨブ記 1:20-22
すべてこの事においてヨブは罪を犯さず、また神に向かって愚かなことを言わなかった。
・・・われわれは神から幸をうけるのだから、災をも、うけるべきではないか」。
ヨブ記 2:10
すべてこの事においてヨブはそのくちびるをもって罪を犯さなかった。
神様からなら、幸いも災いも受けるとヨブは言ったのです。
彼は、神様が祝福してくださるから、神様を信じていたのではありません。
彼は、神様を愛していたのです。
そして、絶望のなかで、最後まで神様の愛を信頼し、このように言いました。
わたしは知る、わたしをあがなう者は生きておられる、
後の日に彼は必ず地の上に立たれる。
わたしの皮がこのように滅ぼされたのち、
わたしは肉を離れて神を見るであろう。
しかもわたしの味方として見るであろう。
わたしの見る者はこれ以外のものではない。
わたしの心はこれを望んでこがれる。
ヨブ記 19:25-27
何という信仰でしょうか?
神様の贖いの業への信頼と、復活信仰を彼は、
しっかりと握りしめたのです。
サタンは、ヨブから全てを奪ったと思いました。
しかし、それは、間違いでした。
何故なら、ヨブにとって、神様が全てだったからです。
サタンは、ヨブから祝福を奪えば、神様を呪うだろうと考えました。
しかし、ヨブにとって、神様ご自身が祝福だったのです。
そのような神様との関係を誰も奪うことはできませんでした。
神様との関係こそ、ヨブにとって全てだったのです。
関係というのは、この世のどのようなものも壊すことができません。
そのような正しい関係こそ、信仰の要なのです。
そして、そのような関係を結びたいと神様は、私達に願ってくださっています。
神様にとってヨブは、そして、私たちは、世界の何よりも大切な存在です。
わたしは確信する。
死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も、
ローマ人への手紙 8:38-39
わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、
わたしたちを引き離すことはできないのである。
信仰の動機は苦難と困難のなかで明らかになります。
皆様が神様を信じる理由は何ですか?