【苦難の理由】5分で聖書のポイントが分かるシリーズ
私たちクリスチャンを悩ませる一つの問題があります。
どうして義人や善人にも苦難がおそうのかという事です。
なぜ神様を信じている人にも苦しみがあるのでしょうか?
苦痛は平等に与えられます。
誰にでも苦痛が来るのです。
金持ちでも貧しい人でも、学歴があってもなくても、老若男女問わず、
平等に苦痛はやってくるのです。
世界のどこを旅しても、苦難がない人はいません。
誰にでも負うべき十字架があることを、私たちは知るのです。
もちろん神様はサタンより強い方です。
しかし、私たちが苦痛を受けることを許可される事があります。
その理由は何でしょうか?
サタンはこの世に苦痛をもたらして、世界を悪で満たそうとしています。
そして、神様が人間を怒って復讐しておられるように思わせ、
人間の心に神様に対する不信を起こさせ、恨みや不平を持つようにしているのです。
しかし、覚えてください。
神様は人間に復讐したり、不公平な誘惑や試練を与える方ではありません。
けれども神様は、試練を許可される事があります。
それには理由があるのです。
詩篇119篇67節に「わたしは苦しまない前には迷いました。
しかし今はみ言葉を守ります」とあり、
72節では「あなたの口のおきては、わたしのためには幾千の金銀貨幣にもまさるのです」とあります。
そして75節で「主よ、わたしはあなたのさばきの正しく、
また、あなたが真実をもってわたしを苦しめられたことを知っています」と言いました。
詩篇記者は苦難を通して、神様のみ言葉を守って従うようになったと証しています。
苦難はむしろ彼に有益なものだったと証します。
苦痛は自分を正直に見させるようにします。
苦痛は、罪を憎むようにさせます。
私たちがこの世でたびたび苦痛を経験することを、神様が許可される理由は、
この世への愛着を捨て、永遠の世界に心を向けさせるためです。
苦痛は全てが悪いものではありません。
苦しみを通ると世俗がいやになります。
出エジプトの時イスラエルの民は、最初の三つの災いをエジプトの人々と一緒に受けました。
その理由は、イスラエルの民がエジプト生活に懲り懲りして、
嫌になって出たくなるようにするためでした。
苦痛は、私たちが罪の凶悪さを感じ、正しい方に心が向くように助けてくれるものです。
苦痛がなければ、人々はより大胆に悪を行うようになります。
苦痛を受ける度に私たちが、罪と過ちの凶悪さを感じ、
正しい方向に心が行くように苦痛を許可されるのです。
私たちがこの世で苦痛を受けるのは、世俗的なものより霊的成長を選ぶようになるためなのです。
この世の祝福より天の祝福を選択するようにするのです。
世俗を放棄して、天を愛するために、時々私たちに苦痛を許されるのです。
苦痛は全部が悪いものではありません。
苦痛にも益があります。
皆さん、今生活の中でどのような苦しみがありますか?
その苦痛の理由を発見してください。
神様が私たちにどうして試練を与えられるのか、その理由を発見してください。
皆さんにどんな苦難がありますか?
使徒パウロもダマスコに行く途中で神様の光を見て、それ以来、眼を患うことになりました。
それが肉体のとげで、離れ去らせて下さるように3度祈りましたが、
神様は「わたしの恵みはあなたに対して十分である」と語られました。
なぜですか?
その苦痛はパウロに有益なものだったからです。
皆さんの試練の意味が分からない日があっても、このみ言葉を信じ、忍耐しましょう。
あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。
コリント人への第一の手紙 10:13
あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、
試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。