【柔和な者】5分で聖書のポイントが分かるシリーズ
聖書において、とても大切にされている美徳があります。
それは、柔和ということです。
イエス様は、心が柔和な人は地を受け継ぐと言われました。
これは山上の説教の言葉です。
マタイの福音書5章5節で
イエス様は、「柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう」と言われました。
この聖句での、地というのは、東京都心の一等地を受け継ぐという意味ではありません。
それは、神様が間もなく新たに創造してくださる、新しい天と新しい地を受けるということです。
つまり、柔和な人が救いを得るという意味です。
柔和な人とはどんな人を言うのでしょうか?
マタイ11章28、29節に次のように言われています。
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。
マタイによる福音書 11章28,29節
あなたがたを休ませてあげよう。
わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、
わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう」。
イエス様は、全ての重荷をもって、私のもとに来なさいと招いておられます。
どんな悔しさも、つらさも、痛みも私のもとにおいて、そして、私のもとで学びなさいと言われます。何を学ぶのでしょうか?
柔和さを学ぶのです。
そうするなら、魂に休みが与えられるというのです。
イエス様は柔和な方です。
イエス様は、「私は柔和で心のへりくだった者」だと言われました。
あれこれ心配したり、人を恨んだり、赦せなかったり、そういった心では、安らぎを得ることができません。
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい」と言われました。
では柔和をどうやって学ぶのでしょう。
柔和とは何かご存じですか?
他の人が私に厳しい態度をとった時に柔和が必要になります。
柔和というのは、他の人が私に対して乱暴な言葉や態度をとっても、やり返したりせずに、
静かに心の平安を保っていることです。
柔和とは、他の人が私をどのように扱っても、
静かにしていて復讐しない心の態度が柔和なのです。
皆さん、この世の中でイエス様のように不当な扱いを受けた人がどこにいますか?
あまりにも悔しいことだらけ、やられっぱなしだった方です。
しかし、イエス様は全く復讐されませんでした。
彼らが行った通りに仕返しをされませんでした。
静かにしておられました。
天の平和がイエス様の心に宿っていました。
これがまさに柔和な品性です。
その当時の教会の指導者たちは、イエス様を不当に扱い非難して苦しめました。
そのような時、静かにしておられました。
カヤパの法廷で沈黙しておられました。
頬を打たれた時も、ムチで打たれた時も、
復讐心に燃えて心をいらだたせたりせずに黙っておられました。
十字架を背負われた時も無言のままでした。
むしろ彼らのために祈られました。
「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。
これが柔和なのです。
イザヤ53章7節に
「彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。
ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、
口を開かなかった」。
とあります。これが柔和なのです。
私達は、 イエス様の柔和を毎日学ばなければなりません。
夫や妻や子供たちに、親に対して柔和な品性で、接しなければなりません。
そうする時に幸福があります。
そうしたら、安らぎがあります。
皆さん、柔和とは神様の品性を学ぶことなのです。
柔和とは私たちがイエス様の学校で、
イエス様が生きられた品性を学んでそのまま生きることです。
そうする時、本当の安らぎがあります。