【赦しの力】5分で聖書のポイントが分かるシリーズ
皆さんは聖書が教える赦しとはどのようなものだと思われますか?
赦しとは罪を認め、告白する罪人を神様が無条件で赦して下さる恵みだと思っていますか?
はい、その通りです。
確かに、赦しとは神様の恵みによって資格のない罪人の罪を赦し、洗い流して下さることを意味します。
赦しは恵みです。
受けるに値しない罪人に与えられる、罪を帳消しにして下さる恵みです。
しかし、赦しにはそれよりもっと大きな意味があります。赦しは単に私たちの罪を赦すこと以上の意味があります。
ルカによる福音書5章17節から26節に、中風患者を癒されたイエス様の奇跡の話があります。
この話は私たちに赦しについてはっきりと説明してくれる教訓です。
この家はペテロの家だったことが、分かります。
マルコ福音書1章と2章を読むと、イエス様がガリラヤのカぺナウムに行かれた時は、ペテロの家に泊まったという事が記録されています。
まさにそこで、ペテロのしゅうとめの熱病を癒したこともありました。
その場所です。ある時イエス様がそのペテロの家で集会を開いておられました。
そこにはたくさんの人たちが集まってきました。
いっぱいで席がありませんでした。
その時一人の中風患者が、屋根を破ってベッドごと吊り下ろされた話は、
とても有名です。
その当時、不治の病は、神様の呪いの罰だと考えられていました。
彼らは永遠の命の希望もなく、のけ者として絶望的に生きていかなければならない病人でした。
その時カぺナウムの中風患者が、イエス様が重い皮膚病を癒されたという話を聞いて心の中に希望を持ちました。
「あぁ、私のような罪人にも望みがあるかもしれない」と、
彼の友達がその話をしてくれた時、彼は大きな期待を持ちました。
そこで彼の友達は、彼が横になっているベッドごと、イエス様のところに運んできたのです。
ところが来てみるとあまりにも人が多くて中に入ることができません。
仕方なく屋根までそのベッドを持ちあげて屋根に穴をあけました。
その当時、屋根は木の枝や土で作られていたので簡単にはがすことができました。
屋根をはがすとき、音がしてほこりが立ち、くずが落ちたでしょう。
イエス様のリバイバル集会が中断されました。人々がざわめきました。
集会の邪魔をするのは誰だ!と。
その時ペテロはどうしたでしょうか?
気の短いペテロは何か文句を言ったでしょうか?
「私の家なのに・・・ うちの屋根だぞ・・・」。
しかし、イエス様はまさにそのような罪人のために集会をしておられたのです。
その時イエス様はどうされましたか?
病を癒すとき、真っ先に言われた言葉は何ですか?
「子よしっかりしなさい、あなたの罪は赦されたのだ」
マタイによる福音書 9章 2節
主は、彼の病気についてではなく、罪の赦しについて語られました。
その時、病人の心に希望と喜びが溢れました。
なぜですか?
彼の本当の問題は病気のことよりむしろ、自分は赦されることのない罪人で、神様の呪いと罰でこんな病気になっているのだと、絶望の中で暮らしていたからです。
キリストは赦しの希望をまず呼び起こされました。
現代でも同じです。
その患者はどうしましたか?
赦しの希望を聞いた時、彼は起き上がり歩きだしました。
イエス様が手をとって起こされた時、彼は赦しを受け望みを持って立ち上がり、病気も癒されて生きるようになりました。
これは、どういうことでしょうか?
赦しには、二つの側面があります。
許しは、罪の刑罰の全てから解放し、良心の呵責から解放します。
罪の罰が、すでにイエス様によって、支払われたからです。
そして、赦しの愛は、私達の心を再創造して、自分と罪に仕える生き方から、神様と人を愛する心に作りかえてくださるのです。
罪の呵責から解放され、罪を犯し続けることから解放されたこの中風患者は、新しい人として、のこりの生涯をイエス様に献身したに違いありません。
自分の命と、そして、罪の呵責という苦しみから完全に救って下さった方を愛さないなど、どうしてできるでしょうか?
絶望と罪のなかで死にかけていた人が、生きる希望と新しい使命、イエス様のために生きるという使命を持って生き返ったのです。
赦しとは、想像をこえる神様の憐み深さが、それに全くあたいしない者に注がれる事です。
そして、それほどの恵みに圧倒され、その愛によって、再創造されることなのです。
皆様の中に、赦されていない方がおられますか?
今、主の前に出て、赦しの力を経験することができます。