【どうして私を愛されるのか?】5分で聖書のポイントが分かるシリーズ
賛美歌に次のような歌詞があります。
イエス様はなぜ私たちを愛されるのでしょうか?
私たちがイエス様を愛する理由を、
私たちはよく知っているでしょう。
ところが、神様は皆さんと私をなぜ愛されるのでしょうか?
愛される価値があるからでしょうか?
イエス様を十字架まで引っ張っていき、十字架につけ、からかった者たちが、
まさに私たちの姿ではないでしょうか?
それなのに、どうして私たちを愛されるのでしょうか?
私たちは自分が必要なときだけ、十字架に頼るような者です。
私たちは主を裏切るようなことをしていませんか?
私たちは主をどれほど受け入れているでしょうか?
私たちにはどれぐらい利己的な姿が見られるでしょうか?
ピリピ2章5〜8節に、次のようなみ言葉が記されています。
キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。
ピリピ人への手紙 2章 5-8節
キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、
おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。
英語の聖書では「十字架の死さえも辞することなく、私達のためにこの世に来られた」と表現しています。
また、賛美歌には、次のような歌があります。
皆さん、愛は触れる人のものです。愛は見いだす人のものです。
愛は悟り、知る人のものです。
しかし、イエス様はどうして私たちをそんなに愛してくださるのでしょうか?
エペソ人への手紙を読むと、使徒パウロはこのように訴えています。
すべての聖徒と共に、その広さ、長さ、高さ、深さを理解することができ、
エペソ人への手紙 3章 18-19節
また人知をはるかに越えたキリストの愛を知って、神に満ちているもののすべてをもって、
あなたがたが満たされるように、と祈る。
私たちがイエス様を知り、その愛を深く感じれば感じるほど、私たちの心の中に信仰が大きくなっていきます。
主はなぜ愛なのでしょうか?
以前ロナルド・レーガン大統領を狙撃した犯人がいました。
彼の名前は、ジョン・ヒンクレイ。
彼が大統領を狙撃した後、刑務所に入れられました。
その時、刑務所に面会に行く彼の母の気持ちはどうだったでしょうか。
息子をどうやって見ればいいのでしょうか?
ひっぱたいたらいいのでしょうか?
社会に大きな害を与え、家族の評判を完全に失わせた息子に何と言ったらいいのでしょうか?
そんな葛藤の中、面会室へ息子が怯えながら入ってくる姿を見た瞬間、真っ先に愛が湧き出るのです。
その息子の首を抱きしめて
「息子よ、お前がやったことは、とても間違ったひどいことだけど、
だからといって私の愛をなくすことはできない!」
「ジョン、変わらずに愛している!」
イエス様が私たちを愛せない理由は何一つないのです。
神様が私達を創造されたからです。
神様が私達を創造された事実が永遠に事実であるように、
神様の私達への愛は、決して変わることがありません。
神様が愛の方であるから、私達を愛してくださるのです。
神様を信頼してください。
神様は愛そのものなのです。