【ヨハネの黙示録】① 地球終末のシナリオ ~地球は今どこに向かっているか?~

ヨハネの黙示録
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ヨハネの黙示録の研究を始めるにあたって

ヨハネの黙示録は普通の本ではありません。この本の中には神様の奥義が込められています。この本の中には、世界の全歴史のあらすじが広がっています。この本の中には、神様の秘密が公開されています。皆さんはこのヨハネの黙示録に預言されている秘密について、知りたくはありませんか?

これから一緒に旅行に行きましょう。これは普通の旅行ではありません。世の中にある美しい場所を見たり、おいしいものを食べたりする観光旅行ではなく、また知識欲を満足させるための学問の旅でもない、とても特別な旅行です。私たちがこれから行こうとする旅行は、そして一緒に旅行しながら学ぼうとしているのは、永遠のものを発見することです。それは閉じられた幕を開き、未来を眺めることであり、神様の不思議な摂理と預言を見ることであり、また神様の秘密を研究することであり、少し開いた天の窓を通して、天の世界を驚きをもって眺めることです。それがまさに黙示録を勉強するということです。

ヨハネの黙示録を研究すると、私たちは過去にすでに起きたこと、そしてこれから未来に起こる世界的な事件を通して、神様がこの世界に対して持っておられる計画と預言と摂理の青写真を見ることができます。これからこの地球はどうなるのか? 私たちの未来はどのようなものになるのか? そしてこの世の終わりはいつ、どのように来るのか? 神様があらかじめ見せて下さった預言に示されている、この地球の運命はどのようなものなのか? ヨハネの黙示録の研究は、これらのすべての質問に対して明確な答えを与えてくれるでしょう。さあ、旅立ちの準備はできましたか?

これからヨハネの黙示録を一章ずつ、そして一句ずつ学んで、その偉大な神様の預言の秘密を研究してみましょう。この本を研究すれば、皆さんの人生に完全な変化をもたらすことになるでしょう。そしてその変化は皆さんの人生に新しい動機を与え、満ち溢れる幸せと平和をもたらすことでしょう。

このヨハネの黙示録は、研究する人に心の変化をもたらします。もちろん、聖書全体もそうですが、特に創世記から始まったすべての聖書の内容は、このヨハネの黙示録で結論を迎えるのですからなおさらです。創世記は、人類の祖先が罪を犯すことによって楽園を失う話から始まります。しかしヨハネの黙示録は、人類の犯した罪によって失われたこの地球が永遠に回復されて、新しい天と新しい地に再創造される話で結論付けられています。

創世記と黙示録との間には、長い、長い、罪と悲しみの人類の歴史が記録されています。この黙示録は聖書のすべての預言と教えが集結し、また終了しているので、聖書の他の個所を一緒に学んでいく必要があります。この本は、わからないままにしておいてはいけない本です。この本は、私たちが読んでその中にある言葉に服従しなければならない大事な言葉です。そこで主の再臨が近いこの時代に生きる私たちにとっては、もっとも重要な本となるでしょう。

ヨハネの黙示録は1章7節の「 見よ、彼は、雲に乗ってこられる」に始まり、22章20節の「わたしはすぐに来る」という約束で締めくくられています。ですから黙示録は、イエス・キリストの言葉と再臨の約束に満ちていることを知ることができます。この本はイエス様の再臨に焦点を当てている預言の書です。人々はしばしば「黙示録は閉じられた本なので、理解できない本だ。また、解釈が様々であり、誤解しやすいので学ばないほうがいい」などと言っています。

しかし、黙示録では次のように勧めています。

「イエス・キリストの黙示。この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使をつかわして、僕ヨハネに伝えられたものである。ヨハネは、神の言とイエス・キリストのあかしと、すなわち、自分が見たすべてのことをあかしした。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちとは、さいわいである。時が近づいているからである」

(黙示録1:1~3)

私たちがこの黙示録に書かれている言葉を理解できなかったら、どのようにこの言葉を読んで、聞いて、守ることができるのでしょうか? この預言の言葉は理解できるものであり、また理解しなければならないものです。 この言葉は最終時代に生きる私たちに向けて特別に記録して下さったものなのです。ヨハネは「この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちとは、さいわいである。時が近づいているからである」(黙示録1:3)と言っています。また「そこで、あなたの見たこと、現在のこと、今後起ろうとすることを、書きとめなさい」(黙示録1:19)。「見よ、わたしは、すぐに来る。この書の預言の言葉を守る者は、さいわいである」(黙示録 22:7)。

ところで、ヨハネの黙示録は実際には、ヨハネの啓示ではなく、イエス・キリストの啓示です。イエス様が下さった啓示をヨハネが書き取ったものです。啓示が与えられた段階を見てみると、父なる神様がイエス様に、イエス様が天使に、天使がヨハネに、ヨハネが本に記録するという5段階を経たことがわかります。(黙示録1:1~3参照)

啓示と象徴によって説明した理由

ヨハネは、啓示が記録されたこの手紙を教会に送りました。 黙示録1章1節の「イエス・キリストの黙示。この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使をつかわして、僕ヨハネに伝えられたものである」という一節の中に現われている表現を見てみましょう。「その僕たちに示すため」の中で「示す」の意味は英語で「to show」、それは文字を書くようにではなく、まるで映画のシーンのように見せて下さるという意味です。

また、天使を送って「 僕ヨハネに伝えられた」という言葉は英語で「Signify」、これはサインで、つまり象徴的な方法で教えてくださったという意味です。それではなぜ象徴的な言葉が必要だったのでしょうか。ルカによる福音書8章10節を見ると、「そこで言われた、『あなたがたには、神の国の奥義を知ることが許されているが、ほかの人たちには、見ても見えず、聞いても悟られないために、譬で話すのである』」。

神様の秘密は、霊的に生まれ変わった人たちだけが理解できるのです。そのためこのヨハネの黙示録は、イエス様を信じて真理を探求する人たちだけが理解できるよう、象徴として記録されたのです。もしそうでなかったら、人々は誰でも勝手に読んで誤解してしまいます。また、象徴として記録された別の理由は、聖書の真理が正しく伝わるように保護するためです。霊的なものは神様の聖霊の感化を通してのみ理解できるからです。

象徴を解く鍵

それなら、聖書の象徴をどう理解することができるかと聞かれるかもしれません。 聖書にはこの象徴を解く鍵が隠されています。私たちはその鍵を、聖書の中から見つけなければなりません。たとえば、ヨハネの黙示録に出てくる「獣」とは何でしょう? 聖書では、獣についてダニエル書の中でこう説明しています。ダニエル書7章23節に「彼はこう言った、第四の獣は地上の第四の国である・・・」。ですから「獣」は「国」や「勢力」を象徴することを知ることができます。

「水」は何を象徴するのでしょうか? やはりその答えも聖書の中に見つけることができます。黙示録17章15節を見ると、「御使はまた、わたしに言った、『あなたの見た水、すなわち、淫婦のすわっている所は、あらゆる民族、群衆、国民、国語である』」とあります。つまり、水は、「国民、人々」を指しています。 また、預言で「1日」とは何でしょうか? エゼキエル書4章6節に、「わたしは一日を一年として四十日をあなたのために定める」とあることから、預言解釈では「1日」は「1年」と理解することができます。

このように、聖書に記録された象徴は聖書によって解釈することができるのです。

預言が与えられた理由

神様が私たちに預言を与えられた理由は、預言が確実に成就されるのを見て、私たちが信仰を持つようになるためです。聖書の預言は神様の確実な言葉です。ペテロ第二の手紙1章19節にこのように書かれています。「こうして、預言の言葉は、わたしたちにいっそう確実なものになった。あなたがたも、夜が明け、明星がのぼって、あなたがたの心の中を照すまで、この預言の言葉を暗やみに輝くともしびとして、それに目をとめているがよい」。ですから私たちは、この預言の書であるヨハネの黙示録を、私たちの心の中に明星となってくださったイエスキリストが再臨されるまで、神様の霊妙な奥義が成就する時まで一生懸命に研究しなければなりません。また、黙示録は特に旧約聖書のダニエル書を参考にしながら研究しなければなりません。ダニエル書は旧約聖書の預言書であり、ダニエル書の象徴と幻が黙示録に多く引用されています。

ではこれから、黙示録の内容の流れを知るために、全体の構成を見ることができる見取り図を見てみましょう。

黙示録に出ている対照(Contrasts)

  • 二人の指導者(Leaders)

A.イエス・キリスト:人類を救うために犠牲になられた苦難の小羊として象徴される。

B.サタン:人間の良心を抑圧し、背教、反逆に陥れる龍に表象される。

  • 二種類の礼拝者

A.真の礼拝に対する訴え:創造主なる神様を礼拝しなさい。

B.偽の礼拝に対する訴え:獣を礼拝しなさい。

  • 二人の女性

A.乙女:貞潔な神様の教会を象徴。

B.淫婦:偽り教える背教教会を象徴。

  • 二つの都市

A.エルサレム:キリストのおられる真理の中心地。

B.バビロン:悪霊たちが住む中心地。

  • 二つの刻印

A.生ける神の印:神様の性格・品性が額に押される。

B.獣の刻印:神様に対する不順従のしるし、人間の制度や権威に屈服したしるし、額や右手に押される。

二つの霊

A.聖霊の働き:真理を愛する信者を集める聖霊の声。

B.悪霊の働き:欺瞞と迷いに導く悪霊の声。

二種類の収穫

A.穀類の収穫:真理に導かれイエス様の品性である良い実を持った人たちの収穫 。

B.ぶどうや毒麦の収穫:外的な現象に頼り、誤りを信じて、品性を準備できなかった者たちの収穫 。

  • 二つの患難

A.中世紀の患難:教皇権による迫害(1260年間の迫害)。

B.最後の時代の患難:七つの災い。

  • 二つの宴会

A.小羊の婚宴:小羊の花嫁として品性が準備された者たちの祝会。

B.鳥たちの宴会:悪人たちの審判。

  • ヨハネの黙示録の流れとそれぞれの章の要約

ヨハネの黙示録研究の理解を助けるため、先にそれぞれの章の要約を見てみましょう。

◆第1部◆

≪ 1章から11章―使徒ヨハネの時代から最後の時代までのキリスト教会の歴史 ≫

第1章:イエス・キリストの姿と神の民のための働き。

第2、3章:7つの教会-初代教会からキリスト再臨までの各時代の教会を七つに区分し、それぞれの時代のキリスト教会の歴史と霊的状態についての啓示

第4章:神様の王座の啓示

第5章:神様の王座の前の審判

第6章:7つの封印―キリスト教会の内、外で起こる闘争を七つの時代に区分し、それぞれの時代の教会の特徴についての啓示。

第7章:生ける神の印―艱難のときの保護の目印であり、神様に対する忠誠のしるし。救いを得た者たちが天で喜ぶ光景の描写。

第8、9章:七つのラッパ―七つの時代にわたってサタンが神様の教会の福音宣教者たちを迫害するために引き起こす争闘についての啓示。世の中が堕落して、審判を受ける姿がまるで天地創造の順番に破壊されていくような姿で描写される。

第10章:神様の教会の最後の時代の福音運動に対する預言として挿入された章。神の奥義(真の福音の経験)の成就に対する言及。

第11章:聖書が攻撃を受けるが、滅亡しない。真理が擁護されて勝利することについての啓示。そして第七番目のラッパの事件。

◆第2部◆

≪ 12章~22章―地球歴史の終わりに起こる危機についての啓示 ≫

第12章:神様の真の教会がたどってきた歴史と最後に残る教会についての啓示

第13章:神様の残りの教会である聖徒を殺そうとする獣の正体や獣の刻印、経済的な圧迫と死刑命令

第14章:獣の刻印を受けず、神様の印を受ける14万4千の準備と再臨前に全人類に向けて宣布されるキリストからの最後のメッセージ

第15章:神様の王座の周りの勝利の賛美歌

第16章:近づく大艱難と七つの災い

第17章:神様に対抗して建てられた政治的、宗教的連合であるバビロンが審判を受けて崩壊する過程。淫婦の審判

第18章:誤った宗教によって欺瞞に陥った者たちに向けられた神様の最後の訴えとバビロンの滅亡の光景。

第19章:イエス・キリストの再臨と神様の民との再連合。小羊の婚宴と鳥たちの宴会

第20章:千年期、サタンが千年間荒廃した地球の上に縛られていることになる。

第21章:新しいエルサレムの光景

第22章:この地球上に回復されたエデンの園と聖霊の最後の訴え。

黙示録 第1章

聖所におられるイエス・キリスト

序論で私たちはヨハネの黙示録の概要と象徴と対照について調べました。 これからヨハネの黙示録1章の本文を見ながら一緒に研究していきましょう。

ヨハネの黙示録の冒頭には、当時の小アジア地方にあった七つの教会に宛てたヨハネの挨拶が記録されています。ヨハネは彼らに、父なる神とイエス・キリストと聖霊の名によって挨拶していることがわかります。ヨハネが記録した神様に対する表現を見てみましょう。

ヨハネの黙示録 第1章

イエス・キリストの黙示。この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使をつかわして、僕ヨハネに伝えられたものである。ヨハネは、神の言とイエス・キリストのあかしと、すなわち、自分が見たすべてのことをあかしした。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちとは、さいわいである。時が近づいているからである。

ヨハネからアジヤにある七つの教会へ。今いまし、昔いまし、やがてきたるべきかたから、また、その御座の前にある七つの霊から、また、忠実な証人、死人の中から最初に生れた者、地上の諸王の支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。わたしたちを愛し、その血によってわたしたちを罪から解放し、わたしたちを、その父なる神のために、御国の民とし、祭司として下さったかたに、世々限りなく栄光と権力とがあるように、アァメン。

見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。

今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、全能者にして主なる神が仰せになる、「わたしはアルパであり、オメガである」。

あなたがたの兄弟であり、共にイエスの苦難と御国と忍耐とにあずかっている、わたしヨハネは、神の言とイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた。ところが、わたしは、主の日に御霊に感じた。そして、わたしのうしろの方で、ラッパのような大きな声がするのを聞いた。その声はこう言った、「あなたが見ていることを書きものにして、それをエペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、ヒラデルヒヤ、ラオデキヤにある七つの教会に送りなさい」。そこでわたしは、わたしに呼びかけたその声を見ようとしてふりむいた。ふりむくと、七つの金の燭台が目についた。それらの燭台の間に、足までたれた上着を着、胸に金の帯をしめている人の子のような者がいた。そのかしらと髪の毛とは、雪のように白い羊毛に似て真白であり、目は燃える炎のようであった。その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、声は大水のとどろきのようであった。その右手に七つの星を持ち、口からは、鋭いもろ刃のつるぎがつき出ており、顔は、強く照り輝く太陽のようであった。

わたしは彼を見たとき、その足もとに倒れて死人のようになった。すると、彼は右手をわたしの上において言った、「恐れるな。わたしは初めであり、終りであり、また、生きている者である。わたしは死んだことはあるが、見よ、世々限りなく生きている者である。そして、死と黄泉とのかぎを持っている。そこで、あなたの見たこと、現在のこと、今後起ろうとすることを、書きとめなさい。あなたがわたしの右手に見た七つの星と、七つの金の燭台との奥義は、こうである。すなわち、七つの星は七つの教会の御使であり、七つの燭台は七つの教会である(黙示録1:1∼20)。

1. 今いまし、昔いまし、やがてきたるべきかた

ヨハネは神様について「今いまし、昔いまし、やがてきたるべきかた」という表現を使いました。この方は誰でしょうか? 「やがてきたるべきかた」とあるところを見ると、イエス様のようにも思えます。しかしその次を見てみると「御座の前にある七つの霊」とありこれはどなたかというと、聖霊のことです。また「忠実な証人、死人の中から最初に生れた者、地上の諸王の支配者であるイエス・キリスト」とあるのでこれはイエス様です。

ヨハネが手紙を書いた時、イエス・キリストと聖霊とイエス・キリストの名で挨拶をしたとするならイエス様の名前が重複してつじつまが合いません。従って、「今いまし、昔いまし、やがてきたるべきかた」は父なる神様であることを確信することができます。ヨハネの黙示録4章8節にも父なる神様を「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者にして主なる神。昔いまし、今いまし、やがてきたるべき者」と呼んでいることを見ることができます。ですから、この表現は、イエス・キリストの再臨の日には、父なる神様も一緒においでになるという感激的な事実を物語っています。

2.わたしたちを愛し、その血によってわたしたちを罪から解放し

「イエス」という名前の意味は何でしたか? それは「おのれの民をそのもろもろの罪から救う者」(マタイ7:21)という意味です。 あなたはそのようなイエス様を知っていますか? ただイエス様を知っていることではなく、自分の罪から、肉体の自我から、罪の権勢と情欲から解放してくださるイエス様を個人的に知っておられますか? あなたは罪から解放された経験がありますか? ヘブル人への手紙9章14節には、「永遠の聖霊によって、ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、なおさら、わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者としないであろうか」という言葉があります。イエス様の犠牲の血は私たちを赦すだけでなく、私たちを罪から解放させる能力があるのです。

3.わたしたちを、その父なる神のために、御国の民とし、祭司として下さったかた

「御国」の意味は何ですか? 神様を信じている者は天国の市民であり、神様の国の住民です。そして神様が彼らの生涯を治めている王になっています。神様を救ってくださる方として受け入れるとは、同時に神様を私の人生の主人、王として迎えることです。あなたは神様が、あなたの心と生活を自分のものだと主張してくださるように歩いていますか? また、神様の王国には憲法があります。それはすなわち、神様の法律である十戒です。ですから、クリスチャンの人生は民主主義ではありません。それはイエス様が治めておられる王国なのです。イエスさまが君主として治めておられる国なのです。

「祭司として下さった」とはどのような意味でしょうか? 祭司とは罪人を神様のもとに導く者であり、仲介者です。ローマ人への手紙15章16節には、「このように恵みを受けたのは、わたしが異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の役を勤め、こうして異邦人を、聖霊によってきよめられた、御旨にかなうささげ物とするためである」とあります。私たちクリスチャンは人々をキリストのもとへ導いてあげる祭司であり、祭司の働きをしなければならない者です。

4. 今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、全能者にして主なる神が仰せにな る、「わたしはアルパであり、オメガである」

「アルパであり、オメガ」はギリシャ語の最初と最後のアルファベットです。 イエス様は私たちのアルファとオメガであり、私たちの人生の最初であり最後の方です。

5.ヨハネの状況

あなたがたの兄弟であり、共にイエスの苦難と御国と忍耐とにあずかっている、わたしヨハネは、神の言とイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた。

ここでヨハネは自分の立場と、啓示を受けた時の状況を説明しています。ヨハネは神様の言葉を伝え、イエス様の証をしたためにパトモス島で艱難を受けていました。イエス様を神様の子として受け入れ、地上のどんな王も礼拝しなかった罪でつかまり、周囲が海に囲まれた寂しいパトモス島で囚人になっているヨハネを忘れないで、イエス様は彼と共におられました。そしてヨハネのように、イエス・キリストを信じることによって苦難に会う後世の人々のために、世界の歴史がどのように神様の摂理と計画の中で進行していくかを示す、偉大な啓示を見せてくださったのです。

ヨハネはその時、啓示によって天の聖所が開かれ、教会に目を注いでおられるイエス様を見ました。イエス様は七つの金の燭台の間で、右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ていて、太陽のように輝く姿でした。

6.啓示に現れたイエス・キリスト

「その声はこう言った、『あなたが見ていることを書きものにして、それをエペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、ヒラデルヒヤ、ラオデキヤにある七つの教会に送りなさい』。そこでわたしは、わたしに呼びかけたその声を見ようとしてふりむいた。ふりむくと、七つの金の燭台が目についた。それらの燭台の間に、足までたれた上着を着、胸に金の帯をしめている人の子のような者がいた。そのかしらと髪の毛とは、雪のように白い羊毛に似て真白であり、目は燃える炎のようであった。その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、声は大水のとどろきのようであった。その右手に七つの星を持ち、口からは、鋭いもろ刃のつるぎがつき出ており、顔は、強く照り輝く太陽のようであった。わたしは彼を見たとき、その足もとに倒れて死人のようになった。すると、彼は右手をわたしの上において言った、『恐れるな。わたしは初めであり、終りであり、また、生きている者である。わたしは死んだことはあるが、見よ、世々限りなく生きている者である。そして、死と黄泉とのかぎを持っている。そこで、あなたの見たこと、現在のこと、今後起ろうとすることを、書きとめなさい。あなたがわたしの右手に見た七つの星と、七つの金の燭台との奥義は、こうである。すなわち、七つの星は七つの教会の御使であり、七つの燭台は七つの教会である』

(黙示録1:11~20)。

最初の啓示に現れた聖所

この聖句を読むと、ヨハネが見た場面がどんなものなのか分かります。彼は啓示の中で何を見たのでしょうか。ヨハネはそこで、天にある聖所を見ました。そして天の聖所の七つの金の燭台の間を歩んでおられるイエス様を見ました。ヨハネの黙示録は、聖所を中心に記録されているのです。

黙示録第1章は聖所におられるイエス様を紹介して始まり、時々天にある聖所が開かれる光景が展開されます。黙示録11章19節には、「そして、天にある神の聖所が開けて、聖所の中に契約の箱が見えた。また、いなずまと、もろもろの声と、雷鳴と、地震とが起り、大粒の雹が降った」という聖所の場面が出てきます。また、黙示録21章22節にも、「わたしは、この都の中には聖所を見なかった。全能者にして主なる神と小羊とが、その聖所なのである」と書かれていて、この黙示録が、聖所を中心に構成されているという事実を知ることができます。

聖書に登場する聖所は、神様が昔モーセに建設するよう特別に命令されたものでした(出エジプト25:8)。聖所は神様が人類の罪をどのように扱い、どう解決されるかを見せてくださる青写真でした。ヘブル人への手紙8章5節には、「彼らは、天にある聖所のひな型と影とに仕えている者にすぎない。それについては、モーセが幕屋を建てようとしたとき、御告げを受け、『山で示された型どおりに、注意してそのいっさいを作りなさい』と言われたのである」という話が出ています。

地上の聖所は天にある聖所のモデルです。そしてこの聖所の制度は、神の救いの方法と計画を示すもので、これは神様がどのように罪を赦して、私たちがどのように悔い改め、またどのように罪が永遠になくなるのか、またどのようにキリストを信じる者が力を得て勝利の生活を生きることができるのか、どのような審判が来るのかについて示しているものです。

聖所には三つの区域がありました。一番手前に羊を殺して犠牲を捧げる外庭があり、その次に第一の部屋と呼ばれる聖所があり、その次に第二の部屋と呼ばれる至聖所がありました(ヘブル9:2,3参照)。聖所の外庭はイエス様がこの地に来て人類の罪のためにカルバリーの十字架で亡くなられたことを象徴し、聖所はイエス様が復活して昇天されたあと、天の聖所で仲保者の役割をしておられることを説明しています。そして至聖所は、最後に罪を審判して全宇宙から永遠に消滅させる、罪の除去の働きを説明するものでした。

黙示録第1章に書かれた最初の啓示には、イエス・キリストが天の聖所の七つの金の燭台の間に立っておられる方として描写されています。これは、イエス様が聖所の外庭での働き、つまり人類の罪のあがないとして十字架で犠牲になられる働きを終えられた後、昇天して天の聖所に入り、そこで仲保の働きをしておられる、その時点での啓示をヨハネは見せられたということです。聖所の中の金の燭台には、オリーブ油が入れてあり、火がともされていました。この油は聖霊を象徴していました。その油によって燭台が光を放つことができました。聖霊が真理の光を放つようにしてくださいます。黙示録では、この七つの燭台が神様の教会として象徴されました。

黙示録1章20節では、七つの燭台は七つ教会であると説明しています。そしてイエス様は、その七つの教会の間を歩きながら、絶えず教会のことを心配し心を傾けておられる方として描かれています。イエス様はいつも教会の面倒を見てくださる方です。真理の灯が消えないか、悪魔の働きに負けてしまわないかと気にかけ、慈悲と愛の心で見守っておられる、そのようなイエス様の姿を私たちに紹介しています。そして、その方の右手には七つの星、すなわち、教会の指導者たちがいることを知ることができます。神様はいつの時代にも、「星のように輝く」(ピリピ2:15)真の教会の指導者を支えておられるのです。イエス様はこのように約束されました。「わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」(マタイ28:20)。

イエス様は、私たち一人ひとりを心にかけてくださる方です。イエス様は今どこにおられるでしょうか?イエスの現住所はどこでしょうか? その方は今、天の聖所で私たちを見つめ、私たちのためにとりなしをしておられます。そのように、私たちを支えてくださる方が天におられることを感謝しましょう。

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