【おやすみ前の聖書】04_豊かな心              

お休み前の聖書
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【おやすみ前の聖書】04_豊かな心         2020.03.17

【おやすみ前の聖書】04_豊かな心

皆さん、こんばんは。一日、いかがお過ごしでしたでしょうか?

私の住んでいる地域は、今日は燃えるゴミの日でした。何気なくゴミを出しに行くと、向いのお宅のゴミがカラスに荒らされていました。

どなたもいらっしゃらないようでしたので、そのゴミを集めていると、近所のおじいさんも助けてくださって、色々な話をしました。私が、「最近カラスのいたずらが多いのは、山に食べ物がなくなってきているからですかね?」と聞くと、その方は「いや、手っ取り早いんでしょ。」と話されていました。手っ取り早さ、手軽さ、そういったものが、カラスの世界にも流行しているのかと思うと、複雑な気持ちになりました。

さて聖書では、カラスのような鳥によって真理が心に根付かない人のたとえ話がでてきます。マタイによる福音書13章です。

「見よ、種まきが種をまきに出て行った。まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。

マタイ13:3-8

このたとえ話で、

種は、真理のみ言葉です。私達が畑に蒔く種にも、命があってそれが、作物を生じさせるように、神様のみ言葉には、命があるというのです。

わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。

ヨハネ6:63

この命がある神様のみ言葉を信仰を持って受け入れるなら、その種は、私達の心に新しい命を与えて、イエス様に似た品性の実が実るのです。

しかし、イエス様が蒔かれても、そして、蒔かれたものがいくら真理でも、私達の心の状態によっては、実を結ぶことがないと聖書は言っています。

道端に落ちたというのは、固くなってしまっている心を表しています。真理への無関心、世の快楽、世俗への没頭などによって、心が固くなってしまいます。すると、鳥が来てその真理を食べてしまうのです。鳥は、何を表しているでしょうか?私達の心を奪ってしまうものすべてです。それは、自分の利己的な願望かもしれません。お金への執着や、自己愛かもしれません。また、多くの場合、批判の心だったりします。

私達の心の状態はどのような状態でしょうか?道端や、石地かもしれません。しかし、

私達の心がそのような状態であっても、希望はあります。道端は開墾し、石地は、石を取り除き、いばらは引き抜けばよいのです。この働きは、一人でするのはありません。イエス様が共にしてくださるのです。

私達の固い土地にも、今日もイエス様は、聖霊様を通して雨を降らせ、土を柔らかくしようとしてくださっています。その働きは、私達の罪を示してくださる働きです。その時に、その声に耳を閉ざし、自分のそのままの姿を認めず、心を固くするなら、土地が固くなってしまいます。しかし、その時に、心を開いて、自分の罪深さを認め、悔いるなら、どのような土地も、豊かな畑へと変わるのです。

最後に聖句をお読みします。

しかし、ついには霊が上からわれわれの上にそそがれて、荒野は良き畑となり、良き畑は林のごとく見られるようになる。その時、公平は荒野に住み、正義は良き畑にやどる。

イザヤ32:15

このみ言葉が私達ひとりひとりの経験となることをお祈りしています。

またお会いしましょう。

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