【おやすみ前の聖書】02_私の小さな師匠

お休み前の聖書
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【おやすみ前の聖書】02_私の小さな師匠                     2020.03.13

【おやすみ前の聖書】02_私の小さな師匠

皆さん、こんばんは。いかがお過ごしでしょうか?大分、暖かくなってきて春ももうそこまで来ているように感じていますが、皆様のお住まいのところは、どうでしょうか?

なんだか、春っていいですよね。暖かさな日差しをあびるだけで、前向きになれる気がします。

皆さんにとって、春といえば何ですか? 私にとっての春は、やはり定番の桜でした。

でしたと申し上げたのは、ある出来事をきっかけに、別のものに変わったからです。

それは、去年の出来事である、娘の誕生です。今の私にとっては、春は、娘の誕生、成長というものと、きっても切れないものとなりました。ある意味で、娘の誕生は、私の人生に春をもたらしたともいえるかもしれません。そんな娘も早いもので、あと数週間で1歳になります。

早いような、長かったような、不思議な感覚です。娘の成長を見ながら、色々と教えられることも多いです。娘を見ていて、羨ましいのは、悩みがないということです。

世間がどんな状況であっても、彼女はお構いなしにすくすくと元気に育っています。彼女の根底にあるのは、母親への信頼なのかもしれません。本当なら、父親への信頼とも言いたいところですが、残念です。(笑) 娘は、近くに母親さえいれば、全てが大丈夫だと本能的に分かっているようです。その反面、必要なときに母親がいないならば、この世の終わりでもあるかのように、泣き叫ぶのです。

娘と違って、私達には、毎日、色々な心配や苦労、悩みがあります。しかし、イエス様は、このように私達に言われています。

だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。

マタイ6:34

そして、この聖句の理由はこのように書いてあります。

野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。

マタイ6:28-30

しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。

母親が娘の幸福を24時間考え、世話をするように、神様が、私達一人一人を心にかけてくださっているので、心配することなく、今日を生きなさいとイエス様は言われているのです。後悔によって昨日を生きるのでもなく、心配によって明日を生きるのでもなく、思い煩わないで、今日を生きなさいとイエス様は、私達ひとりひとりを励ましてくださっています。その約束を心から信じて頂きたいと思います。

布団の上には、私の小さな師匠が、大の字になって寝ています。私からの遺伝により、口を少し、開けています。妻からの遺伝で、目も少し開けています。そして、大胆不敵な顔をして将軍のように眠る娘を見ながら、神様の私達に対する愛を静かに考えてみました。

最後にもう一つだけ、聖句を紹介します。

「女がその乳のみ子を忘れて、その腹の子を、あわれまないようなことがあろうか。たとい彼らが忘れるようなことがあっても、わたしは、あなたを忘れることはない」。

イザヤ49:15

私達もまた、そのような神様を忘れないものとなりたいものです。

また、お会いしましょう。

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