【人生を変える祈り】 ② 祈る理由

人生を変える祈り
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私たちはなぜ祈らなければならないのでしょうか?神様はすべてをご存じの方です。私たちがいちいち告げなくても、私たちの必要をすでにご存じなのです。たとえば親は、子供たちが欲しがる以前に、食べ物や着る者、寝る場所について十分なものを備えようとします。これらのものは、普通の親子であれば、自然に子供に提供されるのです。それにも関わらず私たちが、神様に私たちの必要を申し上げるのはなぜでしょうか?神様が私たちの必要を満たされるのは、当然だという考えを、私たちが持たないためでしょうか。

神様がすべての必要を満たして下さることを信じているのに、私たちがひざまずいて願うというのは、人間の品位を落とすことではないでしょうか?

確かに神様は、人が祈っても祈らなくても、すべての人の必要を満たして下さり、人を差別なさいません。神様は正しい人のためばかりでなく、不信仰な人のためにも、太陽を昇らせ、空気を与え、雨を降らせて下さいます(マタイ5:45参照)。神様は全くえこひいきなしに、全ての人の必要を満たしておられます。それどころか、多くの場合、不信仰な人たちのほうが、信仰者たちよりもっと豊かに暮らしていることがあります。その逆が普通ではないかと思われますが、神様がこのようなことを許しておられるのは、理由があります。もし神様が、正しい者たちにだけ祝福を与え、不信仰な者たちは貧しさで呪うなら、ある人たちは単に、豊かに暮らしたいという欲望のために教会へ行くようになるからです。そうなると、祝福は単に人々が神様に仕えるようになるための賄賂に過ぎなくなります。そのようなことは、神様の救いのみ心とご計画に全く一致しないのです。

神様は人間が、刑罰を恐れる心や、何か報いがほしいからというような、利己的な願望からではなく、ただそれが善であるか悪であるかを判断して、善の道を選ぶ人々を望んでおられます。

また神様は、すべての人を公平に扱われるために、ある人たちは、神様を全く敬う心がないのに、経済的に裕福です。一方では、神様を心から信じる人の中に、とても貧しい人がいます。なぜかというと、前者は勤勉に働き自分たちの才能を最大限に活用するのに対して、後者は、神様が何でも助けて下さるからと言って、まじめに働こうとしないからです。

 それでは私たちは、なぜ祈るのでしょうか、神様が、信じる人にも信じない人にも同じように恵みを与え、祈らない人と同じように熱心に働かなければならないとするなら、祈りの意味はどこにあるのでしょうか? 祈る農夫が、信仰のない隣人と同じように熱心に働かなければ良い収穫を与えられないとするなら、何のために祈るのでしょうか。また、クリスチャンの医学生が、無神論者の友人たちよりもっと良い医者になれないとするなら、何のために医学生は神様に助けを求めて祈るのでしょうか。

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