【青年への使命】② 進歩への熱意

青年への使命
この記事は約2分で読めます。

 進歩への熱意

もし各人が自分の個人的な感化について神の前に責任を認めるならば、彼はどんな場合にもなまけ者となることなく、ご自身の血で彼をあがなって下さったキリストに奉仕するために、才能を養い、あらゆる能力を訓練するでしょう。


青少年はことに頭脳を訓練し、あらゆる機会を捕えて知性をみがき、彼らのために尊い生命をお与えになったキリストに、受け入れられる奉仕をする者とならねばなりません。自分はもう書籍や自然から学ぶ必要がないほど、充分教育を身につけたと思いこむような間違いを犯してはなりません。神が摂理の中にお与えになるあらゆる機会を活用し、聖書と科学からできるかぎりあらゆるものを得なければなりません。神が私たちに与えられた能力を正しく評価しなければなりません。

青年は、はしごの一番下から登り始めなければならなくても、落胆することなく、ついにはキリストが、「良い忠実なしもべよよくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」と言われるみ声をきくまで1段1段と登って行く決心をしなければなりません(マタイ 25: 2 1 )。

神は私たちが、あらゆる機会を利用して、神のみ事業のために準備するように望んでおられます。神は私たちが、あらゆる精力を神のみわざの遂行のためにそそぎ、その神聖さとおそるべき責任について、いつも自覚するように期待しておられます。りっぱな働きをなす資格を持ちながら、努力が足りないために、わずかなことしか成し遂げられない人がたくさんいます。生きるのに大した
目的もなく、達すべき高い目標もないかのように、人生を過ごしている人々が幾千となくいます。その理由の1つは、彼らが自分自身を低く評価しているからです。キリストは私たちのために、無限の価を払われました。その払われた価にふさわしく、私たちが自分自身を高く評価するようにキリストは望んでおられます。

低い目標に到達することに、甘んじてはなりません。私たちは当然到達し得る目標に到達しておらず、神がお望みになるような人間になっていません。神が私たちに理性の能力を与えられたのは、これを働かせずに置いたり、あるいは世俗的な卑しい業務のために悪用したりするためではなく、神の王国の利益を増進するために、最高度に発達させ、洗練 し、清め、かつ、尊くするためです。

タイトルとURLをコピーしました