【この日を神と共に】②  一致する

この日を神と共に
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一致する

「『彼におる』と言う者は、彼が歩かれたように、その人自身も歩くべきである。」

(ヨハネ第一2:6)


多くの者は敵の魅惑の地にいる。重要性が最も少ない事柄―愚かな社交パー ティー、歌を歌うこと、ふざけ、冗談が彼らの思いを夢中にさせ、彼らは分かたれた心で神に仕えるのである。これらの事柄において、あなたがたの間には目に見えない者がいて助けている。恐ろしい歓喜で満たされたサタンが存在している。「だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない」というキリストの宣言は注 意を払われていない(マタイ6: 24)。

キリストの昇天の後、聖霊は直ちに下らなかった。このお方の昇天の後聖霊が与えられる前に10 日間あった。この時間は尊い賜物を受けるための最も真剣な準備のために弟子たちによって捧げられた。彼らが自分たちの心を懸命に探り、すべての偶像を犠牲にした後に、天の豊かな賜物は彼らに注がれた。彼らは神のみ前にあって彼らの魂を低くして、彼らの信仰を強め、彼らの罪を告白していた。そして彼らの心は互いに調和していた。「五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった」(使徒行伝2:1、2)。

教会は同様の経験を必要としている。わたしたちは自分たちの心を探り、受けるべき天の恵みのために準備しているであろうか。主は恵み深くなることを待っておられる。主はご自分の民にご自分を示されるが、彼らは主を求める働きに一致して携わらなければならない。……この時代にあって前進させられるべき働きは最も重要なものである。それは生死の問題である。……敵がこの厳粛な時にあたって娯楽と快楽という状態を持ち込み、むなしく些 細な考えで思いを夢中にさせ、思いを満たすことによって神と永遠または天につ いての余裕がなくなるようにすることを〔許してしまう〕のであろうか。(原稿38, 1890 年, ミシガン、バトル・クリークにおける日記1890 年1 月2 日)

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