【この日を神と共に】④ 土を耕す

この日を神と共に
この記事は約2分で読めます。


「地が芽をいだし、園がまいたものを生やすように、主なる神は義と誉とを、もろもろの国の前に、生やされる。」(イザヤ61:11)


神の生ける託宣である「こう書いてある」は人間が霊的命を得るために食べるべき命の木の葉である。わたしたちが主イエス・キリストのみ言葉を食べるとき、それらはわたしたちにとって永遠の命となるのである。「人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である」とこのお方は言われる(ヨハネ6:63)。キリストから来る回復させる生き生きとした流れは、罪が生み出した傷を癒すのである。

「いつくしみふかき友なるイエスは罪とがうれいを取り去りたもう
心のなげきをつつまずのべて などかはおろさぬおえる重荷を

他の者たちがどのような進路をたどろうとも、わたしたちは個人的に恐れおののいて自分たちの救いの達成に努めなくてはならない。なぜだろうか。なぜならあなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。そう、ご自分のみ名の栄光のためにこのお方は、もし彼らがこのお方が働くのを許すのならこのお方の目に偉大な価値がある人間の思いと心に、働きかけられるのである。


人が堕落したとき、神はサタンの計画を打破する働きを始められた。神は人のうちに働かれる。「あなたがたは神の畑であり、神の建物である」(コリント第一3:9)。はじめに主は人に地を耕すことを命じられた。この働きは神の律法を犯したことにより、さらに難しいものとされた。違法により人は自分の現在と永遠の善に反して働いた。地は人間が不従順を通してサタンに人の心に悪の種をまく機会を与えたことによって、のろわれた。はじめは良いものだけを生産していた地は、毒麦を生産するようになり、それらの発育は絶え間ない戦いを要求した。


土の耕作は人が霊的教訓を学ぶことができる学校である。土を耕すことによって、人が人間の魂への神の働きを鏡に反射しているように見るべきである。神の耕作は完全をもたらす。もし神との結合のうちに働きが前進するなら、人間の代理人はキリストを通して、日毎に戦いにおいて勝利と誉れを得るのである。与えられた恵みを通して、彼は勝利し有利なところにおかれるのである。(手紙5,1900 年1 月4 日, コルコード兄弟へ)

タイトルとURLをコピーしました