【キリストを映して】①   キリスト、御父と一つ

キリストを映して
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「おとめが……男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう』。これは、『神われらと共にいます』という意味である。」(マタイ1:23)


「神の栄光を知る知識」「イエス・キリストの顔」にみられる(コリント第二4:6)。永遠の昔から、主イエス・キリストは天父と一つであられた。キリストは、「神のみかたち」、神の偉大さと尊厳のみかたち、「神の栄光のかがやき」 であられた。キリストがこの世にこられたのは、この栄光をあらわすためであった。神の愛の光をあらわすために、すなわち「われらと共にいます」神となるために、キリストは、罪のために暗くなったこの地上においでになった。だから、「その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」とイエスについて預言された。

イエスは、われわれのうちに住むためにおいでになることによって、人類にも天使に も神を示されるのであった。イエスは神のみことば一きこえるようにされた神の思想 であった。キリストは、弟子たちのための祈りの中に、

『わたしは後らにみ名を知らせ ました。……それは、あなたがわたしを愛して下さったその愛が彼らのうちにあり、またわたしも彼らのうちにおるためであります」

(ヨハネ17:26)。

と言っておられる。そのみ名は、「あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみとまこと」を意味している(出エジプト記34:6)。だがこの啓示は、この地上に生れた子らにだけ与えられたのではなかった。われわれの小さな世界は、宇宙の教科書である。神のすばらしい恵みの目的、すなわちあがないの愛の奥義は、「御使たちも、うかがい見たいと願っている」テーマであって、それは永遠にわたって彼らの研究となるであろう(ペテロ第一 1:12)。

あがなわれた者も、堕落しなかった者も、キリストの十字架に彼らの科学と彼らの歌をみいだすであろう。イエスのみ顔にかがやいている栄光は自己犠牲の愛の栄光であることがわかるであろう。カルパリーの光に照してみて、おのれを捨てる愛の法則が天と地の生命の法則であること、「自分の利益を求め」 ない愛はそのみなもとが神の心にあること、柔和で心のへりくだったおかたのうちに、だれも近づくことのできない光のうちに住んでおられる神のご品性があらわれていることなどがわかるであろう(コリント第一13:5)。…

われわれは、イエスのうちに神を見るのである。イエスを見るとき、われわれは、与 えることがわれらの神の栄光であることがわかる。「わたしは自分からは何もせず」、「生ける父がわたしをつかわされ、また、わたしが父によって生きている」『わたしは自分の栄光を求めてはいない」「自分をつかわされた方の栄光を求める」とキリストは言われた(ヨハネ8:28;6:57; :50;7:18)。これらのことばの中に、宇宙の生命の法則である大原則が示されている。すべてのものをキリストは神からお受けになったが、彼は与えるためにお受けになったのである。天の宮廷ですべての被造物のために奉仕しておられるときもそうである。愛するみ子を通して、天父の生命はすべてのものに向かって流れ出る。み子を通して、それは賛美とよろこびの奉仕のうちに、愛の潮流となって、すべてのものの根源である神へもどって行く。このようにキリストを通して愛の循環が完成され、それは偉大な賦与者であられる神のご品性ー生命の法則を象徴している。(各時代の希望上巻1-4)

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