【キリストを映して】④ キリストの憐れみは限りがない

キリストを映して
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キリストの憐れみは限りがない


「これは、預言者イザヤによって『彼は、わたしたちのわずらいを身に受け、わたしたちの病を負うた』と言われた言葉が成就するためである。」

(マタイ8:17)


わたしたちの主イエス・キリストは人類の必要に応じられるために倦むことのないしもべとしてこの世においでになった。彼は人類のすべての必要に奉仕なさるために、「わたしたちのわずらいを身に受け、わたしたちの病を負」われた。すなわち、病気の重荷とあわれな状態と罪を除くために、キリストはこられたのである。人類を完全に回復することが彼の使命であった。彼は、健康と平安と完全な品性を与えるためにおいでになったのである。


彼に助けを求めてきた人々の境遇や要求は種々さまざまだったが、助けを受けないで帰った者はひとりもなかった。人々は、キリストから流れ
出るいやしの力のおかげで、からだも頭も心も健康にしてもらった。救い主の働きは時間や場所に制限されなかった。彼のあわれみは無限であった。そのいやしと教えのわざはあまりに大きかったので、集まって来る群衆を収容できるほどの大きな建物はパレスチナになかった。ガリラ
ヤの緑の丘、人の行きかう大路、あるいは海辺、あるいは会堂、そのどんなところでも病人のつれてこられる場所が、彼の病院となった。

彼は自分の通るすべての町々村々で病人に手を置いておいやしになった。そして、彼の言葉を喜んで受け入れる人々があると、いつも天父の愛の確証をもって、彼らを慰められた。一日中彼は、ご自分のもとに来る人々に奉仕し、タには、昼間労働して家族をささえる、わずかの糧を得なければならない人々のためにつくされた。イエスは人類救済という大きな重荷を負っておられた。人類の主義や目的に決定的な変化がなければ、すべてのものが滅びてしまうことを知っておられた。これが彼の心の重荷だったが、彼の上に負わされたこの重荷を理解できる者はだれもなかった。またキリストは、子供のときも、青年時代も、そして成人してからもひとりの生活を送られた。……

キリストは、試練、誘惑にも日々遭遇なさり、悪と接触なさるたびに、自分が祝し救ってやりたいと願っておられた人々の上に、悪の力が働いているのをごらんになった。しかし決して、負けたり失望したりなさらなかった。……

彼はいつも忍耐強く、快活であられたから、病める人々は、彼を生命と平安の使者と称賛した。彼は男や女や、子供や青年の必要をごらんになって、「わたしのもとにきなさい」とお招きになった。……
町や都市を通り過ぎていかれるとき、さながら彼は、生命と喜びをまきちらす生きた流れのようであった。( 福音宣伝者41 〜 43)

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