【恐れるな、小さい群れよ】 ② 完全な救い主

恐れるな、小さい群れよ
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「〔マリヤ〕は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである。」(マタイ1:21)


キリストはご自分の高められた御座から降りてこられ、王宮を後にし、ご自分の 神性に人性をまとい、そして人の子らの間で人となられた。このお方は十字架の苦悩と死にまでご自分を低くされたが、それは人が高められるため、すなわち人が神性にあずかる者となり、勝利者となり、そしてキリストと共に栄光のうちにこのお方のみ座に場所を得ることができるためであった。(サインズ・オブ・タイムズ1891年6月15日)
地上のどの人も、あるいは天のどの御使も罪のための刑罰を支払うことはできないのであった。イエスだけが反逆の人類を救うことができるお方であった。(同上1892 年12 月5 日)


わたしたちが敵の力の支配下にあり、彼の奴隷であったときに、キリストはわたしたちのためにご自分の命を与えて下さった。わたしたちは自分自身のものではない。このお方はわたしたちを苦悩と血の代価をもって買ってくださったのである。


この偉大な犠牲の目的はわたしたちを神の息子むすめの自由に導き入れることであった。しかし、もしわたしたちが心のうちに悪を抱いているならば、自分の救い主のご目的を無にするのであり、神が当然受けられるべき奉仕を神から奪うことになる。イエスは人類をその罪のうちにではなく、その罪から救うために来られたのである。「罪は不法である」(ヨハネ第一3:4)、

そしてもしわたしたちが律法に従わないのであれば、自分の救い主を受け入れていないのである。わたしたちが持つ救いの唯一の望みは、キリストを通してである。もし聖霊が心のうちに宿るのであれば、罪はそこに住むことはできない。(レビュー・アンド・ヘラルド1886 年3 月16 日)


わたしたちはご自分の民をその罪から救うために来られたお方の使命を瞑想すべきである。このように天の主題を瞑想するにつれ、わたしたちの信仰と愛はますます強く成長し、わたしたちの祈りはますます神に受け入れられるものになっていく。なぜなら、それらに信仰と愛が混じるようになるからである。それらは 知的であり、熱烈である。ますますイエスへ変わらない信頼をおくようになり、このお方によって神の御許へ行くすべての人を最高にまで救うこのお方の力において日ごとに生きた経験を持つようになる。(サインズ・オブ・タイムズ1906 年4 月18 日)


なぜ、あなたは神が与えて下さった男らしさ、女らしさのうちに立ち、キリストを通して勝利者になろうと決心しないのであろうか。なぜ、「神は力を約束してくださった、だから、わたしは自分の創造主であり贖い主であるお方の道徳的なみかたちを取り戻す」と言わないのであろうか。思いが敵と交わることを許してはならない。彼の力を語って失望することがあってはならない。キリストについて語りなさい。


このお方はご自分によって神の御許へ来るすべての人を最高にまで救うことがおできになる。わたしたちには完全な救い主がおられる。であるから、人の罪のために、そしてわたしの罪のために死なれたお方を信じる完全な信仰を持とう。わたしたちがこの立場をとるとき、自分の救い主に休息と平安を見いだすようになる。

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