【キリストの実物教訓】 第一章 イエスのたとえばなし-2

キリストの実物教訓
この記事は約4分で読めます。

イエスのたとえばなし -2

「だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである」

とイエスは言われた。そして、彼は、まわりの群衆にむかって、両手をひろげて、「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」とおおせになった(マタイ 6:28-33)。

こうしてキリストは、ご自分が野の花や草に託された使命を解き明かされた。彼は、わたしたちが、どの草花にも、そうしたメッセージを読むことを望んでおられる。キリストの言葉は、確信に満ちていて、神に対する信頼を強めずにはおかない。

キリストの真理に関する観念は、実に広く、その教えも各方面にわたったものであったので、自然界のあらゆる方面のものが、真理の例として用いられた。毎日、人々の目に触れる光景が、霊的真理に結びつけられたために、自然は、主のたとえによって装いを新たにした。

キリストは伝道を開始されたころ、真理を平易にお語りになった。それは、すべての聴衆が真理を理解して、救いにいたる知恵を得るためであった。しかし、真理は、多くの人の心の中に根をおろすにはいたらず、すぐに、取り去られた。

「だから、彼らには譬で語るのである。それは彼らが、見ても見ず、聞いても聞かず、また悟らないからである。・・・・こ の民の心は鈍くなり、その耳は聞えにくく、その目は閉じている」

とイエスは言われた(マタイ 13:13-15)。

イエスは、人々が心の中に質問を起こすことを望まれた。彼は不注意なものの目をさまし、真理を示して、彼らの心に強い感銘を与えようとなさった。たとえを用いて教えることは、一般に行われていたことで、たとえによって語ることはユダヤ人ばかりでなくて、他国の人々の尊敬と注目をも引いた。キリストにとって、これ以上の効果的な方法は他になかった。もし聴衆が神に関することを知ろうと思えば、イエスの言葉を理解することができたはずであった。イエスは、真面目な質問をしてくる人には、いつも喜んで説明をなさったからである。

また、キリストが語ろうとされる真理に対して、人々の側では受けいれる準備もなければ、理解することさえできないことがあった。キリストがたとえを用いてお教えになったもう1つの理由は、これであった。また、その教えを人生の実際のできごとや経験や自然界と結びつけて、人々の注意を引き、深い感銘をお与えになった。キリストの教えの例としてあげられたものを、人々があとで見た時に、彼らは、天からの教師イエスの言葉を思い出した。こうして聖霊の働きに対して開かれている心には、救い主の教えの意味がますます明らかに示された。神秘的なことも明瞭になり、前には把握(はあく)できなかったことも明白になった。

イエスは、すべての人の心に通じる道をおさがしになった。彼は、さまざまの例話をお用いになることによって、真理の種々な面のことを説明するばかりでなく、異なった聴衆に訴えられたのである。人々の日常生活の中から引かれた比喩(ひゆ)に、人々は興味を持った。救い主の言葉に聞き入っていた人の中には、1人として、自分はかえりみられていないとか、忘れ去られているとか感じるものはなかった。どんなに卑し、罪深い人であっても、同情と親切なひびきをもって語りかける主のみ声を、彼の教えの中に聞いたのである。

それから、イエスがたとえによってお教えになった理由が、ほかにもあった。彼の回りに集まった群衆の中には、祭司、ラビ、律法学者、長老、ヘロデ党の者、会堂の司(つかさ)、俗人、頑固者、または、野心家などがいて、なんとかして、イエスを訴える言いがかりを見つけようとしていた。彼らの手下どもは、毎日、イエスにつきまとって、民心を全く捕えてしまったかと思われる主を罪に定めて、永久に沈黙させてしまう材料を手に入れようとしていた。

救い主は、この人々の性格をよく心得ておられて、彼らがサンヒドリンの議会に、イエスを告訴できるようなことは、何1つ言わないようにして、真理を説かれた。彼は、高い地位の人々の偽善と悪行をたとえによって責め、鋭く人の心を刺す真理を比喩的な言葉によって表現された。もしもイエスが直接人々に非難の言葉を言われたとするならば、彼らは耳を傾けるどころか、ただちに、イエスの伝道の働きを阻止したことであろう。

タイトルとURLをコピーしました