【初めての聖書】 第27課 日曜日

初めての聖書
この記事は約11分で読めます。

≪序≫ 

十戒の第4条に「七日目はあなたの神、主の安息である」とあります。旧約時代にユダヤ人はこの言葉を無条件に受けいれていました。しかし新約時代以後は、この第七日の安息日の代わりに、週の第一日である日曜日が聖日として守るように変更されたと多くのクリスチャンが考えています。

また、現在世界の大多数の人々は日曜日が休日なので、日曜日を礼拝日にしたほうが便利ではないかと考えています。

ローマ・カトリック教会は、イエス・キリストが教会に与えられた権威によって、安息日を日曜日に変更したと主張しています。

プロテスタント教会は、キリストの復活を記念して日曜日を守るといいます。

しかしクリスチャンとして大切なことは、聖書のみ言葉に従うことです。

この課では、旧約時代に守られキリストも弟子たちも守っていた第七日安息日が、どうして教会の中で日曜日に変わっていったかを調べ、現代の私たちが、安息日と日曜日の問題に対してとるべき聖書的な態度を考えてみたいと思います。

1. 安息日は廃されたのか?

コロサイ人への手紙2章16節、17節に、次のような聖句があります。

「だから、あなたがたは、食物と飲み物とにつき、あるいは祭や新月や安息日などについて、だれにも批評されてはならない。これらは、きたるべきものの影であって、その本体はキリストにある」。

前の第25課で十戒が廃棄されたのではないことを学びましたが、この聖句で安息日についてだれにも批評されてはならないというのはどういう意味でしょうか。

聖書を読む時いつも忘れてはならないことは、ある聖句の正しい意味を知るためには、前後の文章との関係を見なければならないということです。

この聖句の前には、儀式に関するモーセの律法が廃棄されたことが述べてあり、「食物と飲み物、祭や新月、安息日」というのは、この儀式の律法の中のもので、それは、「きたるべきものの影」すなわちキリストの贖罪を予表したもので、十字架が実現したあとは、不必要になったのです。たとえばユダヤ暦の7月10日も安息日と言われています(レビ記23章)が、これは十戒の第七日の安息日ではありません。また第七日安息日は「きたるべきものの影」でもないのです。ですから前に学んだ、神の律法についての他の聖句とも考え合わせると、十戒の中にある第七日安息日が廃されたというのではないことがわかります。

2. 安息日は変更されたか

それでは安息日は土曜日から日曜日に変更されたのでしょうか。

キリストは地上の生涯で、安息日にはいつも会堂に行き、聖書を読み、教えを与えられました。ルカによる福音書4章16節に、

「それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた」

とあります。また安息日には人々の病をいやし、助けを必要とする人々に奉仕されました。そのような安息日に行われたキリストの奉仕は、形式主義におちいっていた当時の宗教指導者たちの反感を買うことになりました。

キリストの弟子たちが安息日を守っていたことは、初代教会の歴史である使徒行伝の中に記録されています。その例を次にあげてみましょう。

「一行〔パウロとシラス=著者注〕は、アムピポリスとアポロニヤとをとおって、テサロニケに行った。ここにはユダヤ人の会堂があった。パウロは例によって、その会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基いて彼らと論じ」

(使徒行伝17章1節、2節)。

「その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。・・・パウロは安息日ごとに会堂で論じては、ユダヤ人やギリシヤ人の説得に努めた」

(使徒行伝18章1節、4節)。

次に新約聖書の中には、週の第一日に関する聖句が8か所あります。それらの聖句が日曜日を土曜日の代わりに聖日としたことを示しているかどうかを調べてみましょう。

① 使徒行伝20章7節 

「週の初めの日に、わたしたちがパンをさくために集まった時、パウロは翌日出発することにしていたので、しきりに人々と語り合い、夜中まで語りつづけた」。

新約聖書の中で週の初めの日、すなわち日曜日の集会の記録はこの聖句だけです。「パンをさくために集まった」というのは第35課で説明しますが教会の儀式で、これは必ずしも安息日に限って行われていたわけではありませんでした(使徒行伝2章46節参照)。この集会は翌日旅行に出発するパウロの送別会のようなもので、日曜日が聖日になったという根拠にはなりません。

② コリント人への第1の手紙16章1節、2節

「聖徒たちへの献金については、わたしはガラテヤの諸教会に命じておいたが、あなたがたもそのとおりにしなさい。一週の初めの日ごとに、あなたがたはそれぞれ、いくらでも収入に応じて手もとにたくわえておき、わたしが着いた時になって初めて集めることのないようにしなさい」。

この聖句は献金を集めることの指示で、日曜日を聖日にしたこととは全く関係がありません。

③ ヨハネによる福音書20章19節

「その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、『安かれ』と言われた」。

この聖句も日曜日を聖日として守っていたのではなく、ユダヤ人を恐れて、夕方自分たちのおる所の戸をしめていたのです。

このほか、ヨハネによる福音書20章1節、ルカによる福音書24章1節、マルコによる福音書16章2節、9節、マタイによる福音書28章1節に週の初めの日」という言葉が出ていますが、これらは日曜日を聖日としたということとは関係のない聖句です。むしろこれらの聖句は、新約聖書が書かれたキリストの死後30年ほどがたった頃にも、日曜日は週の初めの日と呼ばれているだけで、特別な礼拝日としての尊敬がされていないことを知るべきです。

3. 日曜日

聖書の上では日曜日を聖日とする根拠がないとすれば、どうして多くの教会で日曜日を聖日とするようになったのでしょうか。

新約聖書の書かれた時代にクリスチャンが土曜日を安息日として守っていたことは明らかです。これが日曜日に変えられたのは、紀元150年ころから約300年間のうちに徐々に行われました。

日曜日が2世紀のクリスチャンにとって礼拝日になっていった原因の一つは、バル・コクバの反乱(132―135)でした。この反乱はユダヤ人がローマ帝国に対しておこした民族主義的独立運動ですが、結果は失敗でした。この反乱のあと、ローマ帝国は安息日を守るユダヤ人にいろいろな圧迫を加えました。そこでクリスチャンはこのようなユダヤ人と同一視されないために礼拝日を日曜日にするようになりました。もちろん土曜日を守っていた人々も、また土曜日と日曜日の両方を聖日としていたクリスチャンもいました。

321年にコンスタンティヌス帝は、日曜休業令を出し、そのころ盛んであった太陽礼拝とキリスト教の礼拝日とを統一しようとしたのです。

これに対して教会側は妥協する態度をとり、4世紀のラオデキヤ会議で次のような決議をしました。

「クリスチャンはユダヤ教化してはならない。土曜日に何もしないのではなく、働かねばならない。しかし主の日(日曜日)は特にこれを尊び、できればクリスチャンとしてその日には、仕事をしないようにするべきである」

(ラオデキヤ会議宗教法第29条)。

このようにして、教会は日曜日を礼拝日として守るようになったのですが、一部には聖書に従って土曜日を守る人々もいました。

日曜日を守る理由としてプロテスタントの教会は、キリストの復活の記念といいますが、聖書には日曜日を聖日とするという根拠はありません。

カトリック教会はこの変更はカトリック教会の権威によって行ったと主張しています。

ベーテル・ガイエルマンの『カトリック教理問答』には次の言葉があります。

問:どの日が安息日ですか。

答:土曜日が安息日です。

問:それではなぜ私たちは土曜日の代わりに日曜日を守るのですか。

答:私たちが土曜日の代わりに日曜日を守るのは、カトリック教会が、ラオデキヤ会議(336年)においてその尊厳を土躍日から日躍日にうつしたからです。

またステファン・キーナンは、その著、教理問答の中で次のように述べています。

問:神のお定めになる祭日を制定する権威が教会にあることを証明する他の方法がありますか。

答:このような権威が教会になかったならば、現代のすべての宗教家が同意している、第七日安息日を守る代わりに一週の初めの日である日曜日を守るという、聖書的には何の権威もない変更をなし得るはずはありません。

では、教会は聖書に反して、神が祝福し、聖別された日を変えることができるでしょうか。

カトリック教会は、神の言葉の上に、そのような権威を教会会議が持っていると教えています。そしてそれだけでなく、練獄にいる死者のために祈るとか、免罪符を買えば罪がゆるされるといった、聖書に根拠のないことを教会会議がローマ法王の名によって決めてきたのです。

それに対して、マルティン・ルターによる宗教改革は聖書だけを信仰と行いのただ一つの権威とするという主張に立ったものでした。

かつて米国のミズリー州カンザス・シティにあるレデンプトリスト大学総長T・エンライトは「日曜日がわれわれの守るべき日であることを、聖書だけから証明できる人には、1000ドルを差し上げよう」と度々言いましたが、これに応じることができた人はだれもいませんでした。

4. 安息日変更の預言

安息日は、神と人間を結ぶ基本的な関係である創造の記念日であり、罪をおかした人間が救われて再び神のものとなる再創造のしるしとして、十戒の中にある重要な意味をもつ日です。この日を守るためには、ただ仕事を休むというだけでなく、すべての罪を悔い改めてゆるされ、神との交わりにはいって、心に平安と喜びをいただかなければ本当の休みにはいることはできません。安息日が意味しているものはクリスチャン信仰の究極の姿です。

ヘブル人への手紙4章9節~11節

「こういうわけで、安息日の休みが、神の民のためにまだ残されているのである。なぜなら、神の安息にはいった者は、神がみわざをやめて休まれたように、自分もわざを休んだからである。したがって、わたしたちは、この安息にはいるように努力しようではないか。そうでないと、同じような不従順の悪例にならって、落ちて行く者が出るかもしれない」。

ところがこのような大切な日が変更されることについて、神は預言を通してあらかじめお示しになっていました。それはダニエル書7章25節です。

「彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時と律法とを変えようと望む」

この聖句の「彼」は、宗教権力をあらわしていて、その権力が、「時と律法を変えようと望む」とあります。この律法とは神の十戒であり、中でも、時について言及している時間の要素が含まれた安息日の戒めを、この権力は変更しようとするのです。このようなことを行ったのは、カトリック教会であることを、カトリック教会自身が認めています。

「教会は紀元1世紀に、最も画期的かつ思い切ったことを行った。それは聖日である安息日を土曜日から日曜日に変更したことであった。・・・これは聖書に帰されている事柄に従ってではなく、教会の権威をもって行われた。従って、聖書だけが唯一の権威であると考える人がいるならば、彼らは安息日を守るキリスト者になって、土曜日を聖く守ることが論理的であると言える」(Saint Catholic Church Sentinal,May 21,1995)

神の律法である十戒を変更したのは、ローマ法王を代表とするカトリック教会であることは、この課の研究でお分かりになったと思います。なおカトリック教会はこのほかに十戒の第二条、偶像礼拝を禁じる項目をなくし、その代わりに第十条を2つに分けて十か条にしています。これは明らかにこのダニエルの預言の成就です。

安息日と日曜日、私たちはどちらを守るべきでしょうか。聖書は「人間に従うよりは、神に従うべきである」(使徒行伝5章29節)と述べています。

これから皆様が、正しい選択、聖書的な行動をとられることを願っています。

≪希望の言葉≫

イエスは手の不自由な人をいやすことによって、ユダヤ人の慣習を責め、第4条の戒めを、神がお与えになったままの立場におかれた。「安息日に良いことをするのは、正しいことである」とイエスは宣言された(マタイ12:12 )。イエスについて文句をいっている人々が神の聖日をけがしていた時に、イエスは、ユダヤ人の無意味な制限を一掃することによって、安息日をとうとばれた。 キリストは律法を廃されたと主張する人々は、キリストが安息日を破り、また弟子たちが同じことをしてもこれを正しいとされたと教える。このようにして彼らは、あらさがしをしたユダヤ人と事実上同じ立場をとっている。この点において彼らは、「わたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおる」と宣言されたキリストご自身のあかしと矛盾している(ヨハネ 15:10 )。救い主も弟子たちも安息日の律法を破られたのではなかった。キリストは律法の生きた代表者であられた。キリストは一生の間律法の聖なる戒めを1つも破られなかった。あかしの国民でありながら、イエスを罪に定める機会をねらっていた彼らをごらんになって、イエスは、「あなたがたのうち、だれがわたしに罪があると責めうるのか」と言われたが、これに挑戦できる者はいなかった(ヨハネ 8:46 )。

救い主は、父祖たちと預言者たちの語ったことを廃するためにおいでになったのではなかった。なぜなら、これらの代表者たちを通してお語りになったのは、キリストご自身であったからである。神のみことばのすべての真理は、キリストから与えられた。しかしこのようなはかり知ることのできない価値をもった宝石が、まちがった台にはめられていた。そのとうとい光は、誤謬に奉仕させられていた。神はそれらの宝石が誤謬という台からとりはずされて、真理のわくにはめなおされるように望まれた。この働きをなしとげることができるのは、神のみ手だけだった。真理は誤謬とむすびつくことによって、神と人との敵の働きに役立っていた。キリストは真理を、神の栄えをあらわし、人類の救いに役立つような位置におくためにおいでになったのだった。

                (キリストの偉大な生涯より)

タイトルとURLをコピーしました