【聖書講座】 第26課 安息日

初めての聖書
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≪序≫ 

聖書のはじめの2章は、この世界と人間の創造の記録です。神が理想的にお創りになったこの世界のはじめに、2つの制度が定められました。これは人間が罪を犯す前に与えられたもので、人間がほんとうに幸福な生活を続けるためのものでした。罪を犯してエデンの園を追放された時も、アダムとエバはこの二つの制度を持って出て行ったのです。

それは人間を創り、人間の本性をいちばんよく知っておられる神の深い愛と知恵によって定められたものでした。その一つは結婚の制度です。両性が完全に、人格的に結合する喜びの経験であるこの制度の意味と正しい考え方については第2部で学びました。

もう1つは、安息日という特別な日が定められたことです。この日は創造週の最後の日でした。聖書の記録をみると、

「こうして天と地と、その万象とが完成した。神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである」

(創世記2章1節―3節)とあります。この日は現在の土曜日にあたります。

1. 週制度と安息日

私たちはいろいろな時の区ぎりを用いています。一日、一週、一月、一年などです。これらの時の区ぎりは、たいてい天体の運動をもとにして定めたもので、たとえば地球の自転周期から一日、公転周期(地球が太陽のまわりを一回転する時間)から一年が定められています。しかし一週、すなわち七日間という時の区ぎりはどこからきたものでしょうか。七日という周期をもった現象は天体の中には見当たりませんが、週制度は非常に古くから用いられています。大英百科事典のカレンダーの項をみると、七日という時の単位は、太古の時代からほとんどすべての東洋諸国において用いられ、東洋から西洋に広がっていったと書いてあります。

人類の発祥地と考えられているチグリス川、ユーフラテス川流域のメソポタミヤ地域に、人類の最も古い文化と制度が見い出されますが、その中にすでに週制度が存在していました。この時代の東洋民族はほとんど滅び去ってしまいましたが、はっきり残っているのはユダヤ民族です。ですからこの民族を、この時代と現代をつなぐ鎖とみなすことができます。

特に便利なのは、ユダヤ民族は、古代民族のうちで他と比較にならないほど、正確な歴史的記録を持っていることです。それは旧約聖書です。今日考古学の発達に伴い、旧約聖書が歴史的に正確であることは、一般に認められるようになりました。

この旧約聖書の中に七日という時の単位、および週という言葉が出ています。旧約聖書はへブル語で書かれていますが、へブル語の週という言葉は七を意味する語根からきたもので、週と七との関係がうかがわれます。

はじめに述べたように、創世記2章1節、2節からみると、七日という周期は、天地創造の期間にその基礎を置くものです。ユダヤの学識深いラビたちも、このことを証言しています。先に引用した『大英百科事典』のカレンダーの項には、次のように述べられています。

「週とは七日間の周期をさし、それに不変の一様性を与えるような天体の運動はない。・・・・それは太古の時代から、ほとんどすべての東洋の諸国において用いられた。それは一年または一カ月の何分の一というようなところからきたものではないから、デランバーも指摘しているように、もしモーセの物語(旧約聖書の創造の記事)を認めない者はその起源について確からしく思われる説明をすることに困難を感じるであろう」。

このようにしてはじまった週制度の第七日目は、聖書によれば特別な日でした。

「神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたらである」(創世記2章3節)。

この第七日は十戒の第4条を見ると安息日と呼ばれています。

「主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた」

(出エジプト記20章11節)。

2. 安息日の意味

① 創造の記念日

安息日は神がこの世界の創造を終わって休まれた日で創造の記念日です。創造は人間と神を結びつける基本的な関係であり、「安息日を覚えて、これを聖とせよ」(出エジプト記20章8節)という戒めは、まず私たちの存在は神によって与えられたものであり、神によって保たれているという事実を覚えることを意味します。この自覚が私たちの生きる根底になければならないのです。次に「これを聖とせよ」とありますが、はじめに神が安息日を制定されたとき、「これを聖別された」(創世記2章3節)とあります。「聖別する」というのは、「それが聖なることと宣言し、聖なる目的のために用いるようにとっておく」という意味です。安息日には日常の仕事を離れ、神による創造を記念し礼拝や聖書を読むことを通して神と深く交わり、自分の存在の意味を確かめることは、人間がほんとうに幸福な生活をしていくために必要でした。キリストは、「安息日は人のためにある」(マルコによる福音書2章27節)と言われました。もし人間が創造の時以来、安息日を覚えて、これを聖なる日として区別していたら、この世界に無神論者は一人もいなかったでしょう。

② あがないの記念日――きよめのしるし

エゼキエル書20章12節に

「わたしはまた彼らに安息日を与えて、わたしと彼らとの間のしるしとした。これは主なるわたしが彼らを聖別したことを、彼らに知らせるためである」

とあり、安息日は、私たちを罪から救い、きよめて下さる神の力のしるしです。なぜなら罪を犯した人間が、罪からきよめられるのは、神の創造の力によるほかはないからです。はじめ人間を創造された神は、罪を犯した人間を救いの計画をとおして再創造して下さるのです。

3. 新約時代の安息日

旧約聖書の時代には安息日は聖日として守られてきたが、キリストが来られたので律法は廃棄され安息日も守る必要はなくなったと思っている人がいます。

しかしこの前の課で学んだように、キリストは十戒を廃するためではなく、成就するためにきたと言われ、パウロも私たちは律法を確立すると言いました(ローマ3:31参照)。新約聖書に出ている、キリストと当時の宗教指導者たちとの間の対立は、安息日の守り方であって、安息日を守るか守らないかということではありませんでした。安息日がどうして変更されたかという問題は次の第27課をごらん下さい。

4. 安息日は土曜日

聖書の中には曜日は出ていませんが、聖書の安息日は、現在の土曜日にあたります。それは次のことを考えるとわかります。

キリストの復活が日曜日であったことについては異論がありません。そこで、キリストの復活についての聖書の記録を調べてみると、ルカによる福音書23章の終わりに、キリストが十字架におつきになったあと、その体をアリマタヤのヨセフの助力で、まだだれも葬ったことのない墓におさめた記事があります。54節から56節までに、

「この日は準備の日であって、安息日が始まりかけていた。イエスと一緒にガリラヤからきた女たちは、あとについてきて、その墓を見、またイエスのからだが納められる様子を見とどけた。そして帰って、香料と香油とを用意した。それからおきてに従って安息日を休んだ」

とあり、それに続いて24章の1節から3節に、

「週の初めの日、夜明け前に、女たちは用意しておいた香料を携えて、墓に行った。ところが、石が墓からころがしてあるので、中にはいってみると、主イエスのからだが見当らなかった」

という復活の記事があります。

復活の日は現在の日曜日にあたるのですから、キリストの時代に、「おきてに従った安息日」というのは「週の初めの日」の前の日、すなわち、週の終わりの日である第七日目の安息日で、これが現在の土曜日にあたることは明らかです。

次に聖書以外の歴史的な証拠を少し調べてみましょう。

1世紀から2世紀にかけての歴史家タキトウス(55項―120頃)は、ユダヤ民族の起源を土星の神と結びつけ、そのために土星の日に休むと言っています。このユダヤ人の起源の考え自体は伝説的なものですが、安息日を土星の日と結びつけているのは、ユダヤ人が守っていた聖書の第七日の安息日が週の土星の日、すなわち土曜日にあたっていることを示しています。

アレキサンドリヤのクレメンス(150頃―215頃)は、その当時盛んであったグノーシス派の人々について、「彼らは第四日と準備の日の意味を知っていた。前者は水星の神、後者は金星の神より名づけられた日であった」と言っています。これは聖書の週の第四日目が水躍日で、また六日目の準備の日が金曜日にあたっていたことを示しますから、第七日目は土曜日であったことが分かります。

ラパヌス・マウルス(776―856)はドイツのマインツの大僧正(だいそうじょう)でしたが、その時代の最も教養の深い人と考えられています。彼は次のように言いました。

「彼(法王シルベステル一世)は昔からの習慣に従って第一日を主の日と呼んだ。その日ははじめに光が送られた日であり、またキリストの復活が祝われた日であった」。

これは、聖書の週の第一日が日曜日に当たることを示すものです。このほか、ユダヤ人が伝えた週の第七日が、土曜日にあたることを示す文献はいろいろあります。

5. 週制度の継続

週制度は創世の時以来今日までに中断されたりしたたことはないでしょうか。

イタリアの天文学者ジー・スキアパレリは、その著『旧約の天文学』において「安息日の間隔は中断されることなく連続的に行われたことは疑うことができない」と言っています

また、キリストはすべてのことにおいて私たちの模範ですから、キリストが守られた安息日は、創世以来のかわらない循環を保ってきた第七日であったと信じることができます。したがって週制度の継続を確かめるにはキリストの時代から、現在に至るまでの変遷(へんせん)を調べればよいわけです。

まず日にちが飛んだり、重複したりしたとは考えられません。少数の人々には思い違いがあるかも知れませんが、全人類がそのような誤りにおちいることは考えられません。また天文学者という、日時の計算を専門の仕事としている人々もいるのです。

もう一つの可能性は、暦の改訂にあたって、曜日に変更はなかったかということです。キリスト以後に暦の改訂が行われたのは一回だけです。この改訂前の暦はユリウス暦で、改訂後の暦は、この改訂を指導したローマ法王グレゴリウス13世の名をとってグレゴリオ暦と呼ばれています。これが現在私たちが用いている暦です

この時、種々の改訂案が出ましたが、カトリック百科事典第9巻・251ページによると、週制度を廃するという考えは全く出なかったのです。この百科事典の第8巻・740ページにこの時の改訂のやり方が書いてあります。

「キリスト教時代においては、一週の日の順序が決して途切れていないことは、注目すべきことである。グレゴリウス13世が1582年に改暦を行った時は、10月4日木曜日の次を10月15日金曜日としたのである。英国においては、1752年9月2日水曜日の次を9月14日木曜日とした」。

法王グレゴリウス13世の布告によって、スペイン、ポルトガル、イタリアでは直ちに改暦が行われましたが、主として宗教的な理由により、他の国々は直ちにこれに従いませんでした。英国では1752年までユリウス暦を使用していました。その後、他の諸国でもみな曜日を変更することなくグレゴリオ暦を採用するようになりました。

したがって週制度は創世以来、今日に至るまで変わることなく継続してきたことは明らかです。

6. 安息日の守り方

安息日は創造の記念日であり、神に救われたもののきよめのしるしでもあります。この安息日をどのように過ごすかについて考えてみましょう。

① 礼拝――神との交わりのために

安息日は神の全知全能、私たちにあらわされた愛の記念日ですから、その意味を理解するとき私たちの心は感謝と喜び、賛美に満たされます。普通の仕事を離れて、礼拝、聖書研究、祈りによって神と交わることは安息日を記念するのにふさわしいことです。キリスト自身いつも安息日には会堂へ行き、礼拝をし、聖書をお読みになりました(ルカによる福音書4章16節参照)。

旧約の預言者イザヤは次のようにすすめています。

「『もし安息日にあなたの足をとどめ、わが聖日にあなたの楽しみをなさず、安息日を喜びの日と呼び、主の聖日を尊ぶべき日ととなえ、これを尊んで、おのが道を行わず、おのが楽しみを求めず、むなしい言葉を語らないならば、その時あなたは主によって喜びを得、わたしは、あなたに地の高い所を乗り通らせ、あなたの先祖ヤコブの嗣業をもって、あなたを養う』。これは主の口から語られたものである」

(イザヤ書58章13節、14節)。

安息日はいつからいつまでかということについて、レビ記23章32節に「これはあなたがたの全き休みの安息日である。…そのタから次のタまで安息を守らなければならない」とあります。すなわち金曜日の日没から土曜日の日没まで安息日を守るのです。聖書の時代の一日は日没から日没まででした。安息日の始めと終わりに礼拝をすることはふさわしいことです。

② 準備の日

聖書の中で金曜日は準備の日と呼ばれています。安息日に普通の仕事をしないでよいように、必要な買い物をすませ、家の内外の掃除、安息日に教会に行く準備などをし、また安息日を迎えるのにふさわしい心の準備をします。人との不和があればそれも和解しておきます。

③ 良いことをする日

キリストは「だから、安息日に良いことをするのは、正しいことである」マタイによる福音書12章12節)と言われました。病気の人を見舞ったり、困っている人を助けたり、伝道の働きをすることもよいことです。また子供たちと一緒に美しい自然の中で、神の創造について考えることも安息日にふさわしいことです。

希望の言葉

1日の終わりに、創造主のその日の働きの結果がしるされている。第1週の記録が終わったところで、「これが天地創造の由来(ジェネレーション)である」としるされている(創世記 2:4)。しかし、この言葉は、創造の日々が文字通りの1日でなかったというのではない。その1日1日がジェネレーションと呼ばれたのは、神がその日、その日に何か新しいものを発生させ(ジェネレート)また、造られた(プロデュース)からである。地質学者は、地球がモーセの記録するところよりははるかに古代のものである証拠を地球自体から発見したと主張する。今日、現存するものや、数千年経過したものよりは、はるかに巨大な人間や動物の骨、武器、樹木などの化石が発見されたことによって、創造の記録のなかにあらわれているときよりは、ずっと以前に現代の人間よりずっと大きな人種が生存していたと推論する。このような論理の結果、聖書を信じると称する多くの人々が創造の1日は、ばく然とした不定の期間であるという見解をもつようになった。

しかし、聖書の歴史を度外視して、地質学は、何も証明することはできない。発見したものについて、確信をもって論じている人々は、洪水前の人間、動物、樹木などの大きさや、洪水のときの大変化について、十分の認識を持ち合わせていない。地中から発掘される遺物類は、多くの点で現在とは非常に異なった状態にあったことを証明しているが、そうした状態がいったいいつ存在したかということは、聖書から学ぶほかないのである。洪水に関する物語のなかで、霊感は、地質学だけではさぐり得ないことがらを説明している。現在のものよりは数倍もある人間、動物、樹木などがノアの時代に埋没した。こうして、洪水前の人々が洪水によって滅びたことを後世の人々に証明するために保存された。神は、こうしたものが発見されたために、霊感による聖書歴史に対する信仰が強固になることを望まれた。しかし、人々は、いたずらに議論して洪水前の人々と同じ誤りに陥った。彼らは、神が、人々を益するために与えられたものを悪用して、それをのろいに変えてしまった。

神を無視した作り話を人々に信じさせることが、サタンの計略の1つである。というのは、そうすれば、きわめて明確に示されている神の律法をあいまいにし、人々を大胆に神の政府に反逆させることができるからである。彼は特に第4条を攻撃する。それは、この戒めが、生ける天地の創造主を明示しているからである。

                (人類のあけぼのより)

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