【初めての聖書】第1課 生きている古典 聖書

初めての聖書
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序・に置かれた本

現在月の表面に一冊の本があるのをご存じでしょうか。1971年2月にアポロ14号によって地球から運ばれた聖書です。この聖書は16か国の言葉で書かれている4500ページの本で「地球から他の天体に送られる最初の本である」と書いてあるそうです。聖書は人類の古典の一つです。その中のいちばん古い部分は今から約3500年前に、そして最も新しい部分でも1900年くらい前に書かれたものです。そんなに古い本ですが、今もなお多くの人に読まれています。ヨーロッパやアメリカだけでなく、日本でも毎年いちばんたくさん売れている本であり、本当のベスト・セラーです。日本では19世紀から現在までに約3億冊の聖書が配布されました。また世界中では毎年6億冊以上が売られています。このような事実を見ると、聖書には何か人の心をとらえるものがあると思われます。この課では聖書がどんな本であるかを学んで行きます。

聖書の成り立ち

聖書は旧約聖書と新約聖書の2つの部分からできています。旧約聖書は聖書の前の部分で、日本聖書協会発行の口語訳聖書なら1ページから1326ページまでです。そのあとの部分は新約聖書で、また1ページからはじまって409ページに至っています。旧約聖書はイエス・キリストがお生まれになる前に書かれ、新約聖書はキリスト誕生以後に書かれたものです。キリスト教の土台となっているのはこの聖書ですが、その中に神の深い知恵がかくされています。1冊しか本が読めないとすれば、聖書を選ぶという人はたくさんいます。聖書には何回読んでもいつも新しく私たちの心を満たす言葉があるのです。旧約聖書は39巻あり、主にヘブル語で書かれました。その一部はペルシャ時代にひろく用いられたアラム語で書かれています。新約聖書は27巻あり、キリストの時代にローマ帝国で広く用いられたギリシャ語で書かれています。

聖書のギリシャ語は、ギリシャの古典に使われたものではなく、コイネとよばれる日常使われたギリシャ語、一般の人々が使った言葉で書かれています。聖書は非常に長い年月かかって書かれたものですから、書いた人も1人ではありません。約40人の著者がいます。それはもともと宗教の指導者であった人ばかりでなく、王様、政治家、学者、農夫、漁夫、取税人、医者などいろいろな人生の背景をもった人が書きました。

旧約聖書は、創世記からはじまって、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記です。この五つを律法の書といって、モーセが書きました。モーセの五書とも呼ばれています。創世記はこの世界がどうしてはじまったかを説明し、人類の歴史の初期を記録しています。出エジプト記はその続きですが、この中には十誠という神が人間にお与えになった律法が出てきます。レビ記、民数記、申命記はそれにつづく歴史や神の教え、その当時の社会の制度などを記しています。

その次のヨシュア記からエステル記までは、そのあとに続く歴史ですが、これはイスラエル人を中心にして書かれています。聖書の教えは抽象的なものもありますが、その大部分は、人間の実際の生活の中で、具体的な形で与えられています。ですからわかりやすくまた興味があり、実際的なものです。

その次のヨブ記は、ヨブという人の体験を通して人生の苦難の問題をとりあげています。詩篇は主としてイスラエルの王ダビデの信仰のうたです。箴言と伝道の書は人生の実際的な問題を取り扱っていて、イスラエルの王であったソロモンが書きました。雅歌もソロモンが書いた愛のうたです。

イザヤ書から終わりのマラキ書までは預言書と言われ、いろいろな預言者が、イスラエルについて、またこの世界の将来について述べた預言です。その中には現代の世界に関係しているものもたくさんあります。

新約聖書はマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネという四人のキリストの弟子によって書かれた、キリストの伝記から始まっています。これを福音書といって、いろいろな問題をかかえている人間に対して、ほんとうの幸いとは何かを教えるものです。

使徒行伝は、キリストの昇天後教会がいかに発展していったかを記しています。そのあとは教会や個人に与えられた手紙です。その大部分はパウロという初期の教会の有力な指導者が書きました。そして新約聖書の最後はヨハネの黙示録で、キリストの時代から世界の終末に至る人類の歩みを預言しています。

聖書は古い本なのでわかりにくい部分もあります。聖書をお求めになったかたから、よく、どこから読んだらいいかという質問を受けますが、まずよくわかるところから読まれたらいいと思います。たとえば創世記は世界のはじめの歴史ですから分かりやすいと思います。詩篇や箴言、伝道の書なども味わい深い言葉がたくさんあります。また新約聖書のはじめの四つの福音書は、イエス・キリストの生活やその教えですから、読みながら考えると私たちの日ごとの歩みに、よい示唆が与えられるでしょう。また、この講座によって、聖書の骨組みとなっている思想を学ばれると聖書を理解する助けとなります。

聖書の特色

世界のベスト・セラー

聖書は人間の持っている数多くの本の中で、非常に特色のある本です。まずそれは非常に古く書かれた本であるのに、今もなお最も広く読まれベスト・セラーとなっています。また15世紀にドイツのグーテンベルクが印刷機械を発明した時、はじめて印刷されたのは、ラテン語の聖書で、いわば活字文化のさきがけとなった本です。聖書ほど多くの人に読まれた本はありません。現在2500以上の言葉に翻訳されています。

思想・文化・歴史への影響

1冊の本で聖書ほど人間の思想や文化に影響を与えたものはありません。特に西欧文化の土台には聖書の考えが大きな位置を占めています。聖書の思想は、文学、芸術、科学、の分野に強い影響を及ぼしてきました。

歴史的にみても聖書は大きな影響を与えてきました。たとえば近代社会に起こった大きな事件の一つであるアメリカの奴隷制度の廃止において、米国における立役者であったリンカーンを動かしたのは聖書でした。聖書がリンカーンにどんな影響を及ぼしたかについて、アーネスト・ロイドは、「リンカーンと聖書」という小文に次のように書いています。「聖書がリンカーンの生涯にどのような影響を及ぼしたかを調べてみるのは、たいしてむずかしいことではない。エドガー・D-ジョーンズ博士は、米国において『リンカーンほど、その公の演説に聖書を引用したものはない。』と言った。リンカーンの著書を注意深く研究する者は、彼の有名な演説はすべて、聖書の言葉によって飾られていることを知るのである」。

聖書の中に示された人間の平等、人格の自由・尊厳の思想が彼を動かしました。神の光に照らされた彼の良心は、死をも恐れず、あの大改革を成功させたのです。

日本でも第2次世界大戦後、人格の自由、独立、あるいは婦人の解放ということが叫ばれてきましたが、もともと西欧においてそれらの考えを示唆し、その発展の支柱となったのは聖書でした。そして聖書が尊重されたところには、常に自由と秩序がありました。

その反対の例の一つは、革命と恐怖時代のフランスです。そのころフランスを支配していた無神論的勢力は、世界のどこにも起こったことがないほど聖書に圧迫を加えました。国会は神を礼拝することを禁じ、聖書を集めて公衆の面前で焼きました。聖書を捨てた人々は、理性の女神を拝み、「今や狂信はその力を失い、理性がこれに代わった。・・・・そこでフランス人は唯一の真の礼拝、すなわち自由と理性の礼拝を行ったのである」(シーアス『フランス革命史』第2巻370、371ページ)と言いました。

しかし新しい時代がきたと思った彼らは、恐るべき革命の遠因を作りつつあったことに気がつきませんでした。聖書の教えは公平、節制、平等、博愛の原則を人の心に植えつけるのです。そしてこれらの原則は、国家を繁栄に導く支柱となります。このような支柱を失ったフランスは、あの悲惨な流血のフランス革命を招くようになったのです。

対岸の英国では、聖書に立脚したウエスレー兄弟の宗教運動によって、流血の革命を免れたといわれています。自由の精神は聖書と共にあり、聖書が受け入れられたところでは、人々は無知、悪徳、迷信を脱して、人間として正しく、自由に考え行動するようになりました。

個人生活への影響

聖書は個人の生活にも大きな影響を及ぼしてきました。各時代にわたって、あらゆる国の人々の、心の必要を満たし、生きる目的を与え、生活を豊かにし、嵐の多い人生に悩む人々に、希望と平安を与えてきました。人生のすべての希望が失われてしまう死を前にしてもなお希望を与えてきたのです。聖書のローマ人への手紙15章4節に

これまでに書かれた事がらは、すべてわたしたちの教のために書かれたのであって、それは聖書の与える忍耐と慰めとによって、望みをいだかせるためである」

とあり、どんな時にも希望をもって将来をながめることができるのは、聖書に導かれる人の特権です。

聖書は、これを読む人の心や品性を変えてきました。「神の言は生きていて、力がある」とへブル人への手紙4章12節に書いてありますが、聖書はただ一冊の本として読みすごせるものではなく、熱心に研究するならば、生活に大きな変化を与える書物です。

6人の子供を残して夫に死なれた婦人がありました。彼女は途方にくれましたが、聖書を読んで気をとり直しました。「そうだ、聖書が教えているように、思いわずらいは神にゆだねて、私は自分でやれるだけのことをやろう」と決心して、明るい気持ちになることができ、6人の子供をりっぱに育てあげました。

調和と統一

聖書は、職業も経験も時代も住んだ場所も異なる約40人の著者によって、1600年にわたって書かれたのですが、全体に調和と統一があることは不思議です。第二次世界大戦中に書かれた本と、現在のものとは考えが非常に違っています。時代が70年違ってもそうであるのに聖書の中では、1600年へだたっていてもその考えにくいちがいがなく、矛盾もないのです。哲学や倫理学などにおいても、人生についての考えや、価値観、世界観について、学者によって皆違います。しかし聖書には、一貫した思想が流れていることは非常に不思議な事実です。

聖書の著者は、自分の考えを述べたとは言わないで、「神が言われた」と書いています。旧約聖書の中にこの意味の言葉が3800回以上も用いられ、新約聖書にも同じような表現が使われています。このような聖書記者の言葉は、確実な反対の証拠がないかぎり、簡単に否定することはできません。

神の霊によって書かれた

テモテへの第2の手紙3章16節に「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である」とあります。聖書が神の霊感を受けて書かれたというのは、聖書のいちばんはじめの原稿を聖書の記者が書く時、神の特別な働きかけがあり、それによって聖書が人間に対するまちがいのない導きとなることができたということです。ですから聖書は人間が書いたのですが、神の言葉ということができるのです。またそうでなければ聖書の持っているいろいろな特色を説明することはできません。

聖書の原本は今は残っていません。聖書が書かれた時代には、印刷機械はなかったので、聖書の原本は手で写した写本によって伝えられました。ユダヤ人の間にはマソリー卜と呼ばれる人々がいて、その人々は聖書を写すことを仕事にしていた学者たちです。彼らは聖書の言葉を重んじ厳密な注意をもって取り扱いました。写本をする前に原本の語数、字数を数えました。ですから彼らは旧約聖書の各巻がいくつの語、いくつの字からできているかを知っていました。また各巻のまん中になっているのはどの語であるか、また旧約聖書全体のまん中になっている語もどれであるかを知っていました。またある語が何回用いられているかも数えていました。写本と原本を比較して、もしちがっているものを発見した時には、その写本は「訂正しないで捨ててしまった」のです。このように注意深く取り扱われてきましたから、原本が誤りなく保たれてきたと考えてよいのです。

新約聖書についても同様なことが言えます。約1500年にわたって、欧州、アジア、アフリカなどで、多くの人々によって写本が行われ、また翻訳がなされましたが、それはやはり非常に厳格に、できるだけの注意をしてなされ、今日いろいろな国語で書かれた幾千の写本があります。

これらの写本について過去300年間にわたって広い研究が行われました。写本や訳本の語を調べて、そのちがっている所を全部まとめ上げたのです。その結果は、聖書のただ一句でもその意味が根本的にちがっている箇所を見いだすことはできませんでした。発見されたちがいはたいてい、一つの語、多くの場合一つの文字で、これを全部考えに入れても、聖書の思想、聖句の意味に根本的な影響はないことが分かりました。つまり現在の聖書は、はじめに書かれた聖書の意味を十分に伝えているということです。

聖書は本当にすばらしい本です。期待をもってこの講座の研究をなさって下さい。

「聖書をよく知らない人は、すぐにとりもどさねばならない大きな損失をもっているのである」  

セオドア・ルーズベルト(アメリカ第26代大統領)

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