【初めての聖書】 第17課 目に見えない世界

初めての聖書
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≪序≫ 

人間の感覚には限界があって、すべてのものを見ることはできません。物質を構成する最小単位である陽子や中性子は、直接に見ることはできません。精神の世界は、肉眼で見ることの出来ない世界です。人格というようなものも目には見えません。それが体を通して表現されるので分かるのです。聖書は私たちに肉眼に映らない世界について教えていますが、聖書が示している目に見えない存在はまず神です。この神は世界の創造者であり、人格をもった方で父なる神と呼ばれています。創造の神については第1部の3課で学びました。

次にイエス・キリストです。キリストは第1部の9課10課で学んだように、人となられた神です。

聖書の中に神とよばれているもう一つの人格を持たれた方があります。それは聖霊です。父なる神、子なるキリスト、聖霊が聖書で示している神です。

そのほかに天使のことが書かれています。天使の中には善天使と堕落した悪天使がいます。これらの見えない世界の存在は、私たち人間と密接な関係をもっているのです。

1. 三位一体の神

聖書は神の存在についていろいろな角度から説明しています。

「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである」(ローマ人への手紙1章20節。)「神は過ぎ去った時代には、すべての国々の人が、それぞれの道を行くままにしておかれたが、それでも、ご自分のことをあかししないでおられたわけではない。すなわち、あなたがたのために天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たすなど、いろいろのめぐみをお与えになっているのである」(使徒行伝14章16節、17節)。

自然界を見ると、確かに神が生きて働いておいでになることを知ることができます。神を認めなければ、なぜ自然界が規則正しく動いているかを理解することは非常に困難になります。

父なる神、子なるキリスト及び聖霊の三者の神は、目的においても行動においても、完全な調和と一致を保っておられ、全く1つの人格であるように行動されます。そして、申命記6章4節には「イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一である」とあります。この唯一という言葉は、アダムとエバが一体であったという言葉と同じで、このことを三位一体と言います。この世界の創造も三位の神が協力してお働きになったのです。

この三位一体の神は、それぞれ神としての性質を持っておいでになります。即ち全知・全能・時間を超越する永遠性、場所を超越する遍在性や不変性をもっておいでになるのです。また義であり、愛の神なのです。

子なる神キリストは、地上に来られた間、「罪の肉の様」(ローマ8:3)をとられ、人間として生活なさいました。その期間完全に人間の立場をとられました。

2. 聖霊の神

キリストは地上を去られる前に

「もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る」

(ヨハネによる福音書14章15節―18節)

と言われました。

聖霊は地球の創造の時から働いておられましたが、キリストが地上をお去りになったあとは、キリストの代わりとして人間を助けるために、特別に地上につかわされるのです。地上におけるキリストは肉体を持っておられたので、同時にどこにでもおいでになることはできませんでした。しかし聖霊は空間をこえてどこにでもおいでになることができます。したがって神は遠い宇宙の中心においでになるのと同様に、私たちと今、ここに共にいて下さるのです。

聖霊について聖書の中にはいろいろな名前が与えられています。たとえば「主なる神の霊」(イザヤ書61章1節)「真理の御霊(みたま)」(ヨハネによる福音書14章17節)「いのちの御霊(みたま)」(ローマ人への手紙8章2節)「キリストの霊」(同9節)等です。キリストは聖霊を「助け主」と呼ばれました。

聖霊は単なる感化力ではなく、人格をもった神であることを理解することが大切です。聖霊は知性をもち(コリント人への第1の手紙2章11節)、感情を備え、(エペソ人の手紙4章30節)、また意志を持っておいでになります(コリント人への第1の手紙12章11節)。そして一個の人格として行動なさいます。キリストが言われた「助け主」という言葉の原語であるパラクレートスは「かたわらに呼ばれた者」という意味で、聖霊はいつも私たちのそばに立って、私たちのすべての必要に応じて助けて下さるのです。宇宙を支配しておいでになる愛の神と、キリストが聖霊を通して私たちと共に歩んで下さることは、クリスチャン生活のすばらしい特権です。

3. 天使

天使も超自然的な存在なので肉眼には見えません。聖書には260回以上も天使のことが書いてあります。まず天使の性質を調べましょう。

① 霊的な存在

「御使たちはすべて仕える霊であって、救を受け継ぐべき人々に奉仕するため、つかわされたもの」(ヘブル人への手紙1章14節)です。

② 神によって創られた存在

「その天使よ、みな主をほめたたえよ。その万軍よ、みな主をほめたたえよ。…これらのものに主のみ名をほめたたえさせよ、これらは主が命じられると造られたからである」(詩篇148篇2節、5節)。

③ 天使の力

「それは主イエスが炎の中で力ある天使たちを率いて天から現れる時に実現する」(テサロニケ人への第2の手紙1章7節)とあり、大きな力を持っています。

天使が大きな力をあらわした例は聖書の中にいくつも記されています。

A. 捕らわれた使徒たちのために

「そこで、大祭司とその仲間の者、すなわち、サドカイ派の人たちが、みな嫉妬の念に満たされて立ちあがり、使徒たちに手をかけて捕え、公共の留置所(りゅうちじょ)に入れた。ところが夜、主の使が獄(ごく)の戸を開き、彼らを連れ出して言った。『さあ行きなさい。そして、宮の庭に立ち、この命の言葉を漏れなく、人々に語りなさい』」(使徒行伝5章17節―20節)。

B. アッスリヤの軍隊

ユダの王ヒゼキヤは、神をおそれないアッスリヤの王ラブシャケの侵入を受けた時、熱心に神に助けを求めました。その結果、列王紀下19章35節に次の記録が残っています。

「その夜、主の使が出て、アッスリヤの陣営で十八万五千人を撃ち殺した。人々が朝早く起きて見ると、彼らは皆、死体となっていた。」

C. ししの穴にいれられたダニエル

ダニエル書6章にはメディアとペルシャで政治の最高責任者の1人であったダニエルが、同僚たちのねたみのため、ししの穴に投げ入れられた時、一晩たってたずねてきた王にダニエルは

「わたしの神はその使をおくって、ししの口を閉ざされたので、ししはわたしを害しませんでした」

(ダニエル書6章22節)

と言いました。

D. キリストの墓で

キリスト復活の朝、天使が墓の大きな石(ある聖書学者は少なくとも重さは四トンを越えていたであろうと言っています)をころがしました(マタイによる福音書28章2節参照)。

④ 天使の数

へブル人への手紙12章22節には「無数の天使」とあり、ヨハネの黙示録5章11節には、「その(天使=著者注)数は万の幾万倍、干の幾千倍」とありますから、天使の数は数えることができないほど多いのです。

⑤ 天使の行動

天使が非常に敏速に行動できることが、ダニエル書9章の言葉からわかります。このときダニエルは祈りをささげていました。彼は神のみ座の前に立っていた天使を幻の中に見たのです。その天使が神の言葉の意味を悟らせるために、ダニエルがまだ折っているうちに、何億光年あるかわからない宇宙の中心から彼のもとにつかわされました。

「わたしがこう言って祈り、かつわが罪とわが民イスラエルの罪をざんげし、わが神の聖なる山のために、わが神、主の前に願いをしていたとき、すなわちわたしが祈りの言葉を述べていたとき、わたしが初めに幻のうちに見た、かの人ガブリエルは、すみやかに飛んできて、タの供え物をささげるころ、わたしに近づき、わたしに告げて言った」

(ダニエル書9章20節―22節)。

このように天使は敏速に動くことができるので、要求に応じてどんな時でも直ちに助けを与えるためにつかわされるのです。

また天使について、

「彼ら〔復活する人=著者注〕は天使に等しいものであり、また復活にあずかるゆえに、神の子でもあるので、もう死ぬことはあり得ないからである」

(ルカによる福音書20章36節)

とあるように、天使は死ぬことはありません。それに結婚もしないことが次の聖句から分かります。

「復活の時には、彼ら〔復活する人=若者注〕はめとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使(みつかい)のようなものである」

(マタイによる福音書22章30節)。

4. 天使の働き

① 神の使命の伝達

「この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使をつかわして、僕ヨハネに伝えられたものである」

(ヨハネの黙示録1章1節)。

キリストの降誕(こうたん)に関する使命がマリヤに伝えられたのも天使によってでした。祭司ザカリヤにバプテスマのヨハネの誕生が伝えちれたのも天使を通してでした。(ルカによる福音書1章31節、13節参照)。

② 審判の座の証人

「彼(神=著者注〕の前から、ひと筋の火の流れが出てきた。彼に仕える者は千々、彼の前にはベる者は万々、審判を行う者はその席に着き、かずかずの書き物が開かれた」

(ダニエル書7章10節)。

神の国がくる前に神はすべての人を審かれます。意志の自由が与えられている人間は、そのすべての行為の責任をとらなければなりません。千々、万々の天使は、その証人となるのです。

③ 神のさばきの実行

「するとたちまち、主の使が彼〔へロデ王=著者注〕を打った。神に栄光を帰することをしなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えてしまった」

(使徒行伝12章23節)。

この時へロデ王は神のさばきを受け天使の一撃によって死んだのです。

④ 神に従う人々の助け

私たちの歩みを守り、導く天使がいることは、ほんとうに力強いことです。

「あなたがたは、これらの小さい者のひとりをも軽んじないように、気をつけなさい。あなたがたに言うが、彼らの御使たちは天にあって、天にいますわたしの父の御座(みざ)をいつも仰いでいるのである」

(マタイによる福音書18章10節)

とあり、また

「主の使は主を恐れる者のまわりに陣をしいて彼らを助けられる」(詩篇34篇7節)、「これは主があなたのために天使たちに命じて、あなたの歩むすべての道であなたを守らせられるからである」

(詩篇91篇11節)

と書いてあります。

天使は昔だけでなく、今日も神に従う多くの人々を助けています。L・Oハディソンの報告による次の話もその1つの例です。

フィリピン群島のミンダナオ島は、宗教的偏見から衝突が頻繁に起こる土地柄でした。そのミンダナオ島で集会に出席していたある女性の夫が怒って伝道者を殺そうと考えました。彼が後に語ったいきさつは次の通りです。「私は聖書を教えている先生を殺す決心をして、教会へ行きました。集会で、皆がひざまずいて祈っている間に部屋に忍び込んで、殺せばよいと考えたのです。集会の夜、私はボロ(大きな刀)をつかんで戸の前に身をひそめていました。歌が終わり、皆がひざまずいて祈りはじめたので、今こそチャンスだ、首をはねようと部屋に入った私は、ものも言えないほどびっくりしました。ひざまずいて祈っている人々と私の間をさえぎるように、翼を広げた天使が立っているのです。私は命からがら家へ逃げ帰り戸口に鍵をかけてしまいました」。

⑤ 再臨のときの奉仕

再臨のときキリストと共にあらわれ、救われる人々を集めます。

「そのとき、人の子〔キリスト=著者注〕のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。また、彼は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして、天のはてからはてに至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう」

(マタイによる福音書24章30節―31節)。

5. 堕落した天使

 聖書はある天使たちが堕落したことを記録しています。そのかしらのことが、ヨハネの黙示録などで悪魔、あるいはサタンと呼ばれています。サタンはもともと天使の長で、ルシファーと呼ばれていました。この天使が堕落して、神に反逆し、他の天使を誘惑して、神に反逆させ、彼らは地上に落とされました。そしてサタンと悪天使たちは、今日にいたるまで人間を悪に誘惑するために全力をあげて働いているのです。

 なぜこの天使の長が神に反逆するようになったかについては次の課をご覧下さい。

≪希望の言葉≫

天使たちは、神の子供たちに恵みを与えるために遣わされる。アブラハムには、祝福の約束を伝えるため、ソドムの門には、火の破壊から義人ロトを救い出すため、また、荒野で疲労と飢えのために死ぬばかりになっていたエリヤを救うため、敵軍に包囲された小さい町のまわりに火の馬と火の戦車を送ってエリシャを救うため、異教の王の宮廷で神の知恵を求め、また、ししの穴にえじきとして投げ込まれたダニエルを救うため、ヘロデの牢獄で死の宣告を受けたペテロを救うため、ピリピの牢獄の囚人たちを救うため、夜、海上で暴風に会ったパウロとその仲間を救うため、福音を信じるようにコルネリオの心を開くため、そして、この未知の異邦人に救いの使命を伝えにペテロを送るため、こうしたことのために天使たちは、各時代において、神の民のために奉仕してきたのである。キリストに従うすべての者に保護天使がつけられている。これら天からの守護者が、悪い者の力から義人を守るのである。このことは、サタン自身も認めて、「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。あなたは彼とその家およびすべての所有物のまわりにくまなく、まがきを設けられたではありませんか」と言った(ヨブ 1:9、10)。神がご自分の民を守られる方法について、詩篇記者は、「主の使は主を恐れる者のまわりに陣をしいて彼らを助けられる」と言っている( 詩篇 34:7)。

 救い主は、彼を信じる者たちについて、「あなたがたは、これらの小さい者のひとりをも軽んじないように、気をつけなさい。あなたがたに言うが、彼らの御使たちは天にあって、天にいますわたしの父のみ顔をいつも仰いでいるのである」と言われた(マタイ 18:10)。神の子供たちに奉仕することを命じられた天使たちは、常に神のみ前に行くことができるのである。

 こうして神の民は、暗黒の君の欺瞞(ぎまん)の力と絶え間ない悪意にさらされ、悪のあらゆる勢力と戦う時にも天使たちの絶えざる保護が保証されている。必要がなければ、このような保証は与えられはしない。神がご自分の子供たちに、恵みと保護の約束をお与えになったということは、当面すべき強力な悪の勢力―無数の、断固たる、疲れを知らぬ勢力であって、その悪意と力について無知であったり無関心でいては、だれ1人安全ではありえない―があるからである。

        (キリストと反キリストの争闘史より)

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