【初めての聖書】第12課 神との交わり

初めての聖書
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序・友と語るように 

宗教経験の中心は、神との交わりです。神と人間は同じような人格をもっているので、人間と交わることができるように、神と交わることができるのです。神について考えるだけでなく、友だちと語るように神と語ることができます。これが祈りです。

罪のために神と人間との間に断絶が生じましたが、キリストの十字架によって罪をゆるされた人には、再び神との交わりが回復されます。聖なる神との交わりは、イエス・キリストのとりなしによるので、祈りのあとに「イエス・キリストのみ名によってお祈り致します」という言葉をつけ「アーメン」といいます。

祈りだけではなく、聖書を読むことによっても神と交わることができます。聖書は神の言葉ですからそこに神の声を聞くことができるのです。

そのほか自然をとおしても、現実の生活の中でも神の声を聞くことができます。また教会に出席して、神に従う人々との交わりに入り、公の礼拝に加わることによっても神と交わることができます。このような神との交わりによって、私たちの生活は支えられ豊かになるのです。

1 祈りの特権

「祈りは魂の呼吸である」といわれています。呼吸がなければ生きていられないように、祈りがなければ、私たちの精神生活は死んでしまいます。

私たちが神を愛しているならば、神と語らずにはおられません。まだ神がはっきりわからなくても、信じて祈って下さい。あなたも神よりの応答を得て、神の姿がはっきりおわかりになると思います。祈りの言葉には別に規則や制限はありません。創造者である神の前に、敬けんな態度で、心を開いて、友だちに語るように神に語ればよいのです。子供がたどたどしい言葉でいっても、親はその意味をくみとってくれるように、神は私たちの心を知って下さいます。私たちは生活の中でいろいろな必要を感じますから、それを神に訴えることができます。これは神を説得するということではなく、私たちが神よりの賜物を受けることができる準備をすることになるのです。

キリストは地上で生活なさったとき、人間と同じ立場で神の助けを求め、しばしばお祈りになりました。

全能の神が祈りを聞いて下さることは、私たちに与えられた大きな特権です。

朝起きた時まず神に祈りをささげましょう。昨夜の守りと、今日与えられた健康を感謝し、一日の歩みの祝福を祈ります。また特に祈りたいことがあればなんでもよいのです。家族のこと、教会のこと、友だちのこと、あるいは特に必要を感じていることなどを祈ります。

祈りの内容は、神に対する賛美、感謝、願い、罪の告白、他人のための祈りなどです。食事の時は感謝の祈りをささげ、またその食卓に神の祝福を祈ります。祈りについて大切なことは心をこめて祈ることです。口さきだけの祈りはあまり意味がありません。あるアメリカの雑誌に「今日、食前の祈りは、食事をはじめる信号にすぎなくなっている」と書いてありましたが、ほんとうに感謝の気持ちがなければ、祈りは意味がなくなってしまいます。

パウロは「絶えず祈りなさい」(テサロニケ人への第一の手紙5章17節)といいました。祈りはいつ、どこででもできます。仕事をしながらでも、電車の中ででも、全能の神を心に思いうかべて、一言の祈りをささげることができます。それは必ず神に達するのです。

夜やすむときも、一日のお守りを感謝し、罪を犯したらゆるしを求めます。このようにしていつも神とともに歩むことができるのです。

2 祈りの応答

祈りの応答について知っておくべきいくつかのことがあります。まず神は私たちに最善のものを、最も適当な時に与えて下さるということです。ですから祈ってもすぐに聞かれないこともあり、ちがったかたちで聞かれることもあります。小さい子供がナイフをほしがっても、母親はその代わりにもっと適当なものを与えるのと同じです。「求めよ、そうすれば、与えられるであろう」(マタイによる福音書7章7節)という約束に間違いはありません。

聖書の中には、人間のすべての必要に応じる約束があります。その約束にしたがって祈れば応えられます。次にそのような約束をすこしあげてみましょう。

「あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう」

(ヤコブの手紙1章5節)。

あなたがたの中に、病んでいる者があるか。その人は、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリブ油を注いで祈ってもらうがよい。信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる」

(ヤコブの手紙5章14、15節)。

祈りが応えられる条件として聖書はいくつかのことをあげています。

①熱心に祈ること。「もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば、わたしはあなたがたに会うと主は言われる」(エレミヤ書29章13、14節)。

②信仰をもって祈ること。「なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう」(マルコによる福音書11章24節)。

③罪を悔い改めること。「もしわたしが心に不義をいだいていたならば、主はお聞きにならないであろう」(詩篇66篇18節)。

④祈るだけでなく、自分も最善をつくすこと。このような努力は神と協力することになります。

3 主の祈り

キリストはある時、祈ることを教えて下さいという弟子たちの求めにこたえて、祈りを教えて下さいました。それは主の祈りとよばれる短い祈りです。

「天にましますわれらの父よ

願くはみ名をあがめさせたまえ

み国を来たらせたまえ

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ

われらの日用の糧を今日も与えたまえ

われらに負債(おいめ)ある者を、われらがゆるすごとく、

われらの負債(おいめ)をもゆるしたまえ

われらを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ

国と力と栄えは限りなくなんじのものなればなり アーメン 

(マタイによる福音書6章9-13節明治元訳聖書)

この模範の祈りの意味を考えてみましょう。この祈りは非常にととのった形をしていて、祈りの姿勢や態度を教えてくれます。

この祈りは、「天にましますわれらの父よ」というよびかけに始まって、はじめは神についての三つの求め、すなわち「み名」「み国」「みこころ」についての祈りです。次に私たちについての四つの祈りがきます。すなわち「日用の糧」「罪のゆるし」「みちびき」「救い」です。

① 天にましますわれらの父よ

私たちの祈りの対象は、宇宙の創造者で、天において全宇宙を支配しておいでになる神です。いつも祈るときこの神の姿をはっきり思い起こしてみることは助けになります。私たちのほんとうの助けは天においでになる全能の神よりきます。

キリストはこの神を父とよぶことを教えて下さいました。罪によって生じた断絶をうめて、私たちを神の家族として下さったのです。私たちには無限の神が父として守っていて下さるという信仰があれば、どんなことが起こってもおどろくことはないのです。

② 神のみ名

神のみ名をあがめさせて下さいという願いは、神のみ名が尊ばれるようにということです。しかしこれは口先だけのことではありません。私たちが神に従い、神の家族の一員となるとき私たちも神の子とよばれるようになります。神の名は神の品性をあらわすものであり、私たちが子として神の品性をあらわすとき、神の名はあがめられるのです。その意味でこの祈りには、私たちも神に似た品性をもつことができるようにとの願いがこめられています。

③ み国-神の国

聖書の中には、人の心の中にたてられる神の国と、神の支配からはなれているこの世界に神の主権が回復される新しい世界である神の国とのことが書いてあります。「み国をきたらせたまえ」という祈りは、私たちの心の中に完全な神の支配が確立することと、来たるべき栄光のみ国がくることとを求める祈りです。心の中に神の国がたてられたものが、栄光の神の国に住むことができるのです。

④ 日用の糧

生命に必要な糧に対する祈りです。聖書には

「わたしの神は、ご自身の栄光の富の中から、あなたがたのいっさいの必要を、キリスト・イエスにあって満たして下さるであろう」

(ピリピ人への手紙4章19節)

という約束が与えられています。また

このような人は高い所に住み、堅い岩はそのとりでとなり、そのパンは与えられ、その水は絶えることがない」(イザヤ書33章16節)

とあり、神の国を求め、神に従っていく人には、すべての必要がそなえられるのです。人間は日々の糧とともに、心の糧も必要です。実際は心の糧がなければ、ほんとうの意味で、生きていくことはできません。体を養う糧が毎日必要なように、心の糧も毎日必要です。人間として充実した歩みをするためには、毎日聖書の中から、その日の心の糧を新しく得ていくことが大切です。

⑤ 罪のゆるし

神と人間の正常な関係を破壊するのは罪です。私たちは悔い改め、罪のゆるしを得て、神との正しい関係を保っていかなければなりません。罪のゆるしの前提として、「われらがゆるすごとく」とあります。これは私がゆるしたからその代償としてゆるして下さいということではありません。罪のゆるしの条件は悔い改めです。そしてゆるすことができないのは、ほんとうの悔い改めがないからです。神の前に自分の罪の大きさを感じほんとうに悔い改めた心は、人をゆるすことができます。

⑥ 神のみちびき―試みにあわせず

悪の支配するこの世界には、いろいろな誘惑があります。誘惑は罪ではありませんが私たちは弱いものですから危険な場所に近づいてはなりません。「試みにあわせず」と祈る人は、自分で誘惑の場に自分をさらすことはしないはずです。聖書はそのような場所に近づかないように警告しています。それでも誘惑が起こってきたとき、神はそれに勝利する力を与えて下さいます。

信仰の試練もできれば避けたいのですが、神は信仰をきたえるために必要な試練をお与えになる場合もあります。しかし「あなたがたの会った試練で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試練に会わせることはないばかりか、試練と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである」(コリント人への第一の手紙10章13節)とありますから、私たちは決して耐えることのできない状態におかれることはないのです。

⑦ 悪よりの救い

キリストは、弟子たちのために、

「わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、彼らを悪しき者から守って下さることであります」

(ヨハネによる福音書17章15節)

とお祈りになりました。今しばらくの間この世は、悪の支配のもとにあり、神に従うことをのぞむ人も、悪の中に生活しなければなりません。しかしキリストを見あげ、キリストとともにあれば悪に勝利することができるのです。キリストにたよれば、悪がいかに強くとも、それをふせぐ力が与えられます。パウロは「わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある」(ローマ人への手紙8章37節)といいました。これはすべての人に与えられる経験です。

⑧ 国と力と栄え

この祈りの最後は賛美の言葉です。これは現行の口語訳聖書にはありませんが、古い写本の大部分には書いてあります。そしてこの祈りの美しいしめくくりとなっています。

祈りの中に、神に対する賛美と感謝があることは、ふさわしいことです。

神は宇宙の支配者であり、全能の力をもち、栄光を永遠に保っておいでになるのです。そのような神を認めて祈ることが祈りの基本です。

最後のア-メンは忠実あるいは真実であるという意味で、古くモーセの時代から用いられていて、神に対する信頼と確信の表現です。

主の祈りは短い言葉ですが多くの意味をもっています。この祈りをおぼえ、その意味を考えながら、毎日おささげになって下さい。必ず神の大きな祝福にあずかることができます。

19世紀から20世紀にかけて、米国における著名な宗教指導者であったE・G・ホワイトは「求めなさい。そうすれば与えられます。謙遜、知恵、勇気、信仰が増すように求めなさい。すべての誠実な祈りには、応答が与えられます。その応答はあなたの望むとおりに、またあなたの期待した時に与えられないかも知れませんが、あなたの必要を最もよく満たす方法で、最もよい時に与えられるのです。孤独のうちに、つかれた時に、あるいは試練の中でささげられる祈りに神はおこたえになります。必ずしもあなたの期待のとおりではないかも知れませんが、いつもあなたの益となるようにこたえて下さるのです」(ゴスペル・ワーカーズ258ページ)といいました。

これで聖書の基本になっている問題を取り扱った第一部が終わりました。ひきつづき第2部では、聖書の世界観や終末論、死後の問題などを取り扱います。つづいて研究なさって下さい。

希望の言葉

「悩みの日にわたしを呼べ」と主は、言っておられる(詩篇 50:15)。神は、わたしたちが、自分たちの悩みと欠乏とを神に申し上げ、上からの助けの必要なことをわたしたちが神に訴えることを、神は勧めておられる。また神は、常に祈るようにお命じになる。困難なことが起こった時にはすぐに、熱心な祈りを心から神にささげなければならない。わたしたちは、しきりに願うことによって、神に対するわたしたちの強い信頼をあらわす。わたしたちのこうした必要感が、熱心に神に祈りをささげさせ、そして天の父は、わたしたちの嘆願を聞いて心をお動かしになる。信仰のために恥辱と迫害を受ける者は、ともすると自分たちは、全く神から見捨てられたかのように思いがちである。人間の見地からすれば、彼らは少数である。見たところ、敵の方が優勢である。しかし彼らは良心に従わなければならない。彼らのために苦しみに会い、悲しみとなやみをになわれた主は、彼らをお捨てになったのではない。神の子供たちは、無防備のまま放置されてはいない。祈りは、全能のみ手を動かす。祈りは、「国々を征服し、義を行い、約束のものを受け、ししの口をふさぎ、火の勢いを消し、・・・・他国の軍を退かせた」。こうして、信仰のために殉教した人のことを聞くと、それがどんなことを意味したかを知るのである(ヘブル 11:33、34)。

                 (『キリストのたとえ話』より)

毎朝の祈り

「主よ、しもべのすべてをあなたのものとしてお受入れください。私のすべての計画をあなたのみ前に置きます。どうか、しもべを今日もご用のためにお用いください。どうか、私と共におられて、すべてのことをあなたにあってなさせてください」。    (『新生への道』より)

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