【聖句から学ぶ聖書】第40課 注目するべき象徴

聖句から学ぶ聖書
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第40課 注目するべき象徴

1.第四の獣の十の角から起きる小さい角について何と言われていますか?

十の角はこの国から起る十人の王である。その後にまたひとりの王が起る。彼は先の者と異なり、かつ、その三人の王を倒す。

ダニエル書7:24

ノート: ローマ帝国の廃墟から起きた教皇権は、それ以前のあらゆる形態のローマ勢力とは違っていました。それは宗教と政治の連合体であり、宗教が国家を動かす権力を持った独裁国家だったのです。

「異民族とアリウス主義者たちが残しておいたローマ的な要素はすべて、・・・皇帝がなくなった後、その時の最高権力者だったローマ監督の支配下に置かれることになった。同じようにローマ教会は秘密裏に、世界帝国ローマの権力の座に自分自身を上らせようとした。ローマ教会は絶えずその座を狙い続けたのである。その結果、ローマ帝国は消えず、ただ変化しただけであった。・・・それは単純に「気の利いた批評」などではなく、歴史的な問題の本質に対する認識であり、この教会の特性を描写する最も適切で効果的な方法である。それは今も変わらず国々を支配している。・・・それは政治的な存在であり、一つの世界帝国であるかのように堂々としている。なぜならローマ帝国の継承者であるからだ。自分を「王」である「最高神官(Pontifex Maximus)」と呼ぶ教皇はシーザーの後継者にほかならない」—Adolf Harnack, What is Christianity?(New York:G.P.Putnam’s Sons,1903),p.269,270.

「いや、違う。その教会は墓に下ることはない。それは帝国が滅びた後にも生き残るだろう。・・・最終的には第2の帝国が起こるだろうが、教皇はその帝国の主人になるだろうし、なおかつ彼はヨーロッパの主人となるだろう。教皇は王たちに命令し、王たちはその命令に従うようになるだろう」—Joseph Turmel(under the pseudonym Andre Lagarde),The Latin Church in the Middle Ages(New York:Charles Scribner’s Sons,1915,序文,4ページ.

≪教皇権と神様≫

1.小さい角で象徴された教皇権はいと高き者に対してどのような敵対的な態度をとりますか?

彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時と律法とを変えようと望む。聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。

ダニエル書7:25

2.パウロは不法の者について述べながらこの同じ勢力をどのように描写しましたか?

彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する。

第二テサロニケ2:4

ノート: ローマカトリックの著者たちが記録した著書からの抜粋である以下の内容は、教皇権が「いと高き者に敵」する勢力であることを物語っています。

「聖書でキリストに適用されるあらゆる名前、それによって彼が教会の上に君臨することを認められる、その全ての名前が教皇に適用されます」—Robert Bellarmine, Disputationes de controversiis,Tom.2,“Controversia Prima”,Book2(“De Conciliorum Auctoritate”[on the Authority of Councils]),chap.17(1628 ed.,vol.1,p.266),translated.

「なぜならあなたは牧者であり、医者であり、指導者であり、夫であり、ついに地上にいるまた別の神であるからです。」—Christopher Marcellus’Oration in the Fifth Lateran Council,4th session,in J.D.Mansi,Sacrorum Conciforum…Collectio,vol.32,col.761,translated.

「人間ではなく神が、ローマ教皇(単純に人間の機能ではなく真の神の機能を行使する)が教会の必要と有益を熟考した後、人間の権威ではなく神の権威によって逆らう者たちを分離される」—“The Decretals of Gregorry IX,”Book 1,title 7,chap.3,in Corpus juris Canonici(1555~56 ed.),vol.2,col.203,translated.

「教皇は国家の法の最高裁判官である。・・・彼は永遠の祭司長であるだけでなく、王の中の王であって民衆の主であられるキリストの代理者である」—la Civilta Cattolica,March 18,1871,quoted in Leonnard Woolsey Bacon,An Inside View of the Vatican Council(American Tract Society ed.),p.229,n.

「キリストはご自身の職分を頭である司教に委任された。・・・天と地にあるあらゆる権勢はキリストに与えられた。・・・したがって彼の代理者である司教はこの権勢を持つようになる」—Corpus  Juris Canonici(1555~56 ed.),vol.3,Extravagantes Communes,Book 1,chap.1,col.29,translated from a gloss on the words Porro Subesse Romano Pontiff.

「教皇は天と地と地獄(infernorum)の王として三層冠を用いる」—Lucius Ferraris,Prompia Bibliotheca,“Papa”(the Pope),art.2(1772~77 ed.,vol.6,p.26),translated.

「キリストにあらゆる忠誠を尽くす者たちはローマ教皇が聖なる使徒座と全世界の地上権を所有し、ローマ教皇は使徒たちの一番弟子である祝福されたペテロの継承者であり、キリストの真の代理者である。全教会の頭であり、全てのクリスチャンの父であり教師であることを信じる。私たちの主イエス・キリストにより全世界の教会を治め支配する完全な力が、祝福されたペテロを通して彼に与えられたことを信じる」First Dogmatic Constitution on the Church of Christ (Pastor Aeternus,published in the fourth session of the Vativan Council ,1870),chap.3,in Philip Schaff,Creeds of Christendom(New York:Harper),vol.2,p.262.

「私たちはそれが神聖に啓示された教理だと教え定義する。ローマ教皇は、彼が権威として発言する時、すなわち全てのクリスチャンの教師と医師の職分を果たす時、自分の最高の使徒的権威によって、祝福されたペテロを通して彼に約束された聖なる助けによって普遍的な教会が固守する信仰や道徳に関する教理を定義する。彼は彼の教会が信仰や道徳に関する教理を定義するため付与されるように、聖なる救い主が意図なさったそのような誤謬のなさを持っている。したがってローマ教皇のそのような定義はそれ自体が変更できないことで、教会の同意を得たものではない」(上掲書,chap.4,pp.270,271.)。

1073年から1087年まで在職していたグレゴリー7世が出した「ヒルデブラントの勅令」の27項目の中には次のように書かれています。

2.ローマ教皇だけが普遍的(Catholic)だと正当に呼称される。

6.どのような人も教皇によって破門された者と一つ屋根の下に住むことができない。

9.全ての君主はただ彼の足に口づけしなければならない。

12.彼が皇帝たちを廃位させるのは合法的である。

22.ローマ教会は聖書によれば決して間違わなかったのであり、絶対に間違わないのである。

26.ローマ教会と調和しない者は誰もカトリック教徒と見なしてはいけない。

27.彼は不義の統治者たちと同盟した民たちを許すことができる。-Cesare Baronius,Annales,year 1076,secs.31~33,vol.17(1869 ed.),pp.405,406,translated.

   ≪それに対する反論≫

「彼らは誤謬がないことを主張しているがそれは偽りで、それは神様にだけ属するものである。彼らは罪を許すことができると公言するが、それは神様にだけに属するものである。彼らは天を開けたり閉めたりすることができると公言しているが、それは神様にだけ属したものだ。彼らは地上の全ての王たちよりもっと高いと公言するが、それは神様にだけ属したものである。そして彼らはそのような王たちが彼らを喜ばせない時、あらゆる国民を彼らの王たちに対する忠誠の誓いから免除して自由にできると言うことで、神様より上に立つのである。彼らが罪に対する免罪符を与える時、彼らは神様に敵対することになる。これはあらゆる神性の冒涜の中で最も悪いものと言える」。

—Adam Clarke,Commentary,on Daniel 7:25.

3.小さい角は神様の民をどのように扱いますか?

彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時と律法とを変えようと望む。聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。ダニエル書7:25

ノート: 「(先に言及された)この血の公言の下、そのような迫害が11世紀と12世紀からほとんど現在に至るまでずっと進められたのですが、それは歴史のページに記されています。オルレアンの戦いで公開的な殉教が行われて以来、十字軍の一つとして行われたアルビ派の撲滅、宗教裁判所の設立、ワルド派を絶滅させようとする残忍な試み、ロラード派の殉教、ボヘミア人たちを根絶させるための残忍な戦争、宗教改革以前のフスやヒエロニムスや無数の他の信仰告白者たちへの火刑、宗教改革以後、オランダで行われた残虐な虐待、メアリー女王の統治にならった殉教、スペインとイタリアで起きた火と刃による絶滅、ポーランドであった不正で公開的な迫害、バーソロミューの大虐殺、ユグノー教徒の迫害、・・・ナント勅令の撤回に関連するあらゆる残虐行為と偽証などが伴いました。これらは宗教裁判所の内密な殺害を除いて、その預言を説明してくれるもっと公開的で明らかな事実です」—T.R.Birks,The four Prophetic Empires,and the Kingdom of Messiah(1845 ed.),pp.248,249.

スペインで宗教裁判所によって犠牲になった数字は、かつて宗教裁判所の書記だったローレント(Llorente)が書いた『スペイン宗教裁判所の歴史』583ページに登場します。この文書はスペインだけで30万名以上が迫害を受け、そのうち31,912名は火刑にあったことを認めています。ヨーロッパ全域で自分たちの信仰のため数百万名以上の人々が殺害されました。

「人類のうち、今まで存在したいかなるほかの制度よりもローマ教会が多くの罪のない人の血を流したという事実は、歴史に対してある程度の知識を持ったプロテスタント教徒なら誰も疑わないだろう。実に無数の迫害の記録でさえあまりにかすかなもので、数多くの犠牲者たちに対する完全な概念を得ることは不可能である。そしてどんな想像力をもってしても彼らの苦難を正確に表現することができないということは確かである」-W.E.H.Lecky,History of the Rise and Influence of the Spirit of Rationalism in Europe(1910 ed.),Vol.2,p.32,(By permission of Longmans ,Green and Co.)

≪教皇権と神様の律法の変更≫

1.預言の小さい角はほかに何をすると言われていますか?

彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時と律法とを変えようと望む。聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。

ダニエル書7:25

ノート: 神様の律法を変更することができる教皇の権威について、一人のカトリック著者は次のように言います。

「教皇はあまりにも偉大な権威と権勢を持っているので、神様の律法までも修正したり説明したり解き明かすことができる。教皇は神様の律法を修正することができるが、彼の権威は人の権威ではなく、神様の権威だからである。そして彼は地上で神様の代理者として活動する」—Lucius Ferraris,Prompta Bibliotheca,“Papa”,art.2,translated.

仮に神様の律法である十戒が、ローマカトリックの聖書の中に、本来与えられた形で見出されたとしても、教会に忠誠を尽くす者たちは、聖書から直接教えを受けるのではなく、教会の教理問答によって教えを受けるのです。これまで見てきたように、神様の律法はローマ教会によって変更されたのであり、実際に教皇権によって再び制定されました。

偶像を造ってそれを拝むことを禁止した第2条の戒めは、カトリックの教理問答では省略されます。そして、むさぼりを禁止した10番目の戒めが二つに分けられました。教皇の権威による神様の律法に起きた変化と、そのような変更を認定し、そのようにできる権威を主張する根拠として、ローマカトリック教会の出版物から抜粋した次の内容に注目してください。

「問:教会が戒めの中の祝日を制定する権威があるということを証明する方法がありますか?」

「答:教会にそのような権威がないならば、現代の全ての宗教家たちが同意するそのようなことをすることができなかったことでしょう。すなわち教会が、聖書の権威によって変更されたものでなくても第七日土曜日遵守の代わりに週の一日目である日曜日遵守に代えることができなかったでしょう」-Stephen Keenan, A Doctrinal Catechism, “On the Obedience Due to the Church”,chap.2,p.174.(Impprimatur,john Cardinal McCloskey,archbishop of New York.)

「問:教会に祝日と公休日を命ずる権威があるということをどのように証明しますか?」

「答:プロテスタント教徒たちが認める、安息日を日曜日に変更したまさにその行為によってです。したがって彼らは日曜日を厳格に守ることで見境もなく自ら矛盾し、同じ教会が命じた大部分の別の祝日を犯しています」。

「問:それをどのように証明しますか?」

「答:日曜日を遵守することで、彼らは祭日を制定し、彼らを罪に定める教会の権威を認めます。そして教会の命令どおり祝日に休まないことで、事実上彼らはその同じ権威を否認します」—Henry Tuberville,An Abridgment of the Christian Doctrine,p.58.

「聖書を創世記からヨハネの黙示録まで読んでみても、日曜日の神聖性を認めるたった一つの節も発見することができないでしょう。聖書は私たちが神聖にしない日である土曜日の細心の遵守を強要します」—James Cardinal Gibbons,The Faith of Our Fathers(1917 ed.),pp.72,73.

≪神様の審判と王国≫

1.いと高き者の聖徒たちと時と律法はいつまで小さい角の手にわたされますか?

彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時と律法とを変えようと望む。聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。ダニエル書7:25

2.同じ期間がどんな別の預言の中に言及されていますか?

女は荒野へ逃げて行った。そこには、彼女が千二百六十日のあいだ養われるように、神の用意された場所があった。ヨハネの黙示録12:6

3.象徴的預言において一日とは何を意味しますか?

あなたはその期間を終ったなら、また右脇を下にして寝て、ユダの家の罰を負わなければならない。わたしは一日を一年として四十日をあなたのために定める。エゼキエル書4:6

ノート: ダニエル2,7,8章の預言やヨハネの黙示録などの預言書に描写された、人や動物や対象物やその行動の多くは象徴的なものです。つまりそれらは実際のものではなく、実体である人物や事件を比喩的に表現したものです。したがってそのような預言書の中に記された期間も、象徴的だと考えるのが合理的です。そのような用例の一つがエゼキエル書4章6節に出てきます。そこで預言者は40日間象徴的な行動を取るように言われたのですが、1日は実際には1年を表しました。

ダニエル7,8章に出てくる1260日と2300日が、文字通りの数字であるとするなら、この内容と期間に該当する、よく知られた歴史的事件はありません。そこで、この数字は実際的な期間というよりは象徴的な期間を示すことに相違ありません。また、2300日はダニエル書9章の490年がその一部となる預言の全体を表すものなので、2300日は文字通りの期間として見ることはできないということが明白になります。

預言で「時」は1年と同じ意味なので(ダニエル書11:13)、ひと時とふた時と半時は3年半となります。これは四十二月と同じであり1260日と同じ期間です。預言の計算では1年は360日、1か月は30日、1年は12か月で計算します。また、聖書の預言で1日は1年を表すので、その期間は聖徒たちを悩まし、時と律法を変更して神様に敵対する小さい角-教皇権-が支配する期間が1260年になるのです。

533年に公布されたユスティニアヌス皇帝の勅令はローマ教皇を「あらゆる神聖な教会の頭」として認定しました。(Justinian’s  Code,Book l,title 1,sec.4,in The Civil Law,translated by S.P.Scott,Vol.12,p.12)。

それから5年後のA.D.538年、ローマの包囲攻撃によってオストロゴスは完全に敗北しました。それは、当時イタリアを支配していたアーリア人勢力の独立に致命的な打撃であったのであり、その年こそ教皇の至上権確立における重要な年とみなすことができます。したがって538年は1798年まで続く、1260年預言のスタートと見なすことができます。

その後、フランス革命によって教皇の権威に直接的に反逆したフランスの軍隊は、ベルティエ将軍に従ってローマに入城し、教皇は1798年2月に捕虜としてとらわれて翌年フランスの獄中で死にました。ローマ教皇のみじめな最期によって教皇権が大打撃を受けた1798年は、長い1260年預言の終結と見なすことができます。

4.結局小さい角はどのような運命に置かれるのでしょうか?

しかし審判が行われ、彼の主権は奪われて、永遠に滅び絶やされ-

ダニエル書7:26

5.主権はついに誰に与えられますか?

国と主権と全天下の国々の権威とは、いと高き者の聖徒たる民に与えられる。彼らの国は永遠の国であって、諸国の者はみな彼らに仕え、かつ従う。

ダニエル書7:27
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