【聖句から学ぶ聖書】第27課 義と戒めと命

聖句から学ぶ聖書
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第27課 義と戒めと命

1.キリストを信じる人には何が約束されていますか?

神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

ヨハネによる福音書3:16

2.福音には何が啓示されていますか?

神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。

ローマ人への手紙1:17

3.キリストは福音を通して何を示されましたか?

そして今や、わたしたちの救主キリスト・イエスの出現によって明らかにされた恵みによるのである。キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不死とを明らかに示されたのである。

第二テモテ1:10

4.義と命はどれほど密接なものですか?

正義の道には命がある、しかし誤りの道は死に至る。

箴言12:28

5.義を追い求める者は何を得ることになりますか?

正義といつくしみとを追い求める者は、命と誉とを得る。箴言21:21

箴言21:21

6.恵みは何を通して永遠に至るまで支配しますか?

それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させるためである。

ローマ人への手紙5:21

「しかし、働きはなくても、不信心な者を義とするかたを信じる人は、その信仰が義と認められるのである」。

ローマ人への手紙5:21

ノート:義とは律法に従うことです。律法は義を要求します。そのため罪人は律法に対して借金をしているのです。そして罪人にはその借金を返す能力がありません。彼が義人になることができる唯一の方法は、ただ信仰による以外にありません。彼は信仰によってキリストの功績を神様に差し出すことができ、神様はご自身の息子の従順によって罪人の借金を帳消しにしてくださいます。人間の罪の代わりにキリストの義を受け入れてくださり、神様は悔い改め信じる人を受けいれ、お許しになり、正しくされ、彼をまるで義人であるかのように扱われ、ご自身の息子を愛されたように彼を愛されます。信仰が義と見なされることはまさにこのような理由からであり、許された人は恵みから恵みへと成長し、光からもっと大きな光へと進むことになります。彼は喜びながらわたしたちの行った義のわざによってではなく、ただ神のあわれみによって、再生の洗いを受け、聖霊により新たにされて、わたしたちは救われたのである。この聖霊は、わたしたちの救主イエス・キリストをとおして、わたしたちの上に豊かに注がれた。これは、わたしたちが、キリストの恵みによって義とされ、永遠のいのちを望むことによって、御国をつぐ者となるためである」(テトス3:5)と言うことができます。

7.霊は何によって生きることができますか?

もし、キリストがあなたがたの内におられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊は義のゆえに生きているのである。

ローマ人への手紙8:10

8.神様の戒めはどのようなものですか?

あなたのすべての戒めは正しいので、わが舌はみ言葉を歌います。

詩篇119:172

9.イエス様にとって神様の命令はどのようなものでしたか?

わたしは、この命令が永遠の命であることを知っている。それゆえに、わたしが語っていることは、わたしの父がわたしに仰せになったことを、そのまま語っているのである。

ヨハネによる福音書12:50

10.預言者エレミヤはキリストがどんな方だと宣言しましたか?

その日ユダは救を得、イスラエルは安らかにおる。その名は『主はわれわれの正義』ととなえられる。

エレミヤ書23:6

11.キリストはご自身をどのような者だと語られましたか?

イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」。

ヨハネによる福音書14:6

12.キリストは何が永遠の命に必要だと指摘されましたか?

イエスは言われた、「なぜよい事についてわたしに尋ねるのか。よいかたはただひとりだけである。もし命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」。

マタイによる福音書19:17

13.義はどのようにして与えられますか?

もし、ひとりの罪過によって、そのひとりをとおして死が支配するに至ったとすれば、まして、あふれるばかりの恵みと義の賜物とを受けている者たちは、ひとりのイエス・キリストをとおし、いのちにあって、さらに力強く支配するはずではないか。

ローマ人への手紙5:17

ノート: 義とは聖であって神様と一つになることです。そして「神は愛」(第一ヨハネ4:16)であられます。義とは神様の律法と一致することです。なぜなら「あなたのすべての戒めは正し」(詩篇119:172)く、「愛は律法を完成する」(ローマ人への手紙13:10)からです。義は愛であり、愛は神様の光と命です。神様の義はキリストを通して実現されます。したがって私たちはキリストを受け入れることによって義を得ることになります。

14.永遠の命はどのように与えられますか?

罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。

ローマ人への手紙6:23

ノート:キリストはあらゆる正しい動機の根源です。ただ神様だけが私たちの心に、罪に対する敵意を与えて下さる唯一の方です。真理と純潔を慕い求める心―罪に対する鋭敏な感覚―はキリストの霊が私たちの心に働いておられる証拠です。

イエス様は、「わたしがこの地から上げられる時には、すべての人をわたしのところに引きよせるであろう」(ヨハネ12:32)と言われました。キリストは世の罪のために死なれた救い主として、罪人の前に示されなければなりません。カルバリーの十字架にかけられた神の小羊をながめるときにはじめて、説明することのできない救いの計画の神秘が私たちの心にも理解され、神の深い恵みが私たちを悔い改めへと導くのです。キリストは罪人のために死なれ、はかり知れない大きな愛をあらわしてくださいました。罪人がこの愛を知るとき、深い感銘を受けて心はやわらげられ、悔い改めへと導かれるのです。

もちろん、人は自分がキリストに導かれていることを意識する前に、罪深い行為を恥ずかしいと思い、悪い習慣をやめることがあります。けれども、人が正しいことをしたいと切望して改めようと努力するときはいつでも、キリストの力が働いて彼らを引きつけているのです。自分たちが意識していなくても、その力が心のうちに働いて良心を呼びさまし、行為が改められるのです。やがてキリストに導かれて十字架を見せられ、自分たちの罪が彼を刺し通したことを知るとき、おきての精神が良心にはっきり焼きつけられ、悪に満ちた生活や、心の底深くに根ざした罪が示されます。彼らはキリストの義が何であるかを幾らかでも理解するようになり、「ああ、なんと罪は恐ろしいものだろう。罪のとりこになった者を救うためには、このような大きな犠牲が払われなければならなかったのか。私たちが滅びないで、永遠の生命を受けるためにはこのような大きな愛、恐ろしい苦しみ、また、はずかしめが必要だったのか」と叫ばずにはおられなくなります。

あなた方のうちで、この世の与えるものよりもさらに良いものを心の中で求めておられる方は、その心の願いが、魂へ呼びかける神のみ声であることにお気づきになるでしょう。どうかその時は、神が悔い改めを与えてくださるように、そして限りない愛にあふれ、全く純潔そのものの姿のキリストを、お示しくださるように祈っていただきたいのです。救い主は、神のおきての原則、すなわち神と人とを愛するということを、その生涯において完全に実行されました。また、慈しみと無我の愛が救い主の命でした。ですから私たちが救い主をながめ、救い主の光に照らされるとき、はじめて自分の心の罪深さが見えてくるのです。

悪から守られる唯一の方法は、キリストの義を信じる信仰によってキリストが私たちの心の中に住まわれるようになることです。誘惑が私たちを支配するようになるのは、私たちが利己心を抱いているからです。私たちが神様の大きな愛をながめるなら、利己心がますます明らかにされ、醜い罪の性質がはっきりと見えてきます。そして私たちは、そのような心を追い払いたいと熱望するようになります。聖霊がキリストの栄光を表してくださる時、私たちの心は穏やかになり、誘惑はその力を失い、キリストの恵みが品性を変えるようにしてくださるのです。

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