【聖句から学ぶ聖書】第22課 従順と不従順の結果

聖句から学ぶ聖書
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第22課 従順と不従順の結果

1.神様はアブラハムにどのような命令を与え、アブラハムは神様の命令にどのように従いましたか?

時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい」。

創世記12:1

アブラムは主が言われたようにいで立った。ロトも彼と共に行った。アブラムはハランを出たとき七十五歳であった。

創世記12:4

2.後に主はアブラハムにどんな命令を与えられましたか?

神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」。

創世記22:2

3.アブラハムに以前に約束されたことを神様はどんな条件のもとで再び新しくされましたか?

言った、「主は言われた、『わたしは自分をさして誓う。あなたがこの事をし、あなたの子、あなたのひとり子をも惜しまなかったので、わたしは大いにあなたを祝福し、大いにあなたの子孫をふやして、天の星のように、浜べの砂のようにする。あなたの子孫は敵の門を打ち取り、また地のもろもろの国民はあなたの子孫によって祝福を得るであろう。あなたがわたしの言葉に従ったからである』」。

創世記22:16-18

4.アブラハムの従順は何に対する結果であり実ですか?

信仰によって、ノアはまだ見ていない事がらについて御告げを受け、恐れかしこみつつ、その家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世の罪をさばき、そして、信仰による義を受け継ぐ者となった。信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。

へブル人への手紙11:7,8

5.アブラハムの行動は何が完全になったことを示すものでしたか?

わたしたちの父祖アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげた時、行いによって義とされたのではなかったか。あなたが知っているとおり、彼においては、信仰が行いと共に働き、その行いによって信仰が全うされ-

ヤコブの手紙2:21,22

ノート: 使徒ヤコブは「信仰による義」というテーマが提示される時、いくつかの危険があることがわかりました。そこで彼が伝えたのは純粋な信仰とは、それにふさわしい行いなしに存在することができないということでした。彼はアブラハムの経験を通して「信仰が行いと共に働き、その行いによって信仰が全うされ」たと言いました。純粋な信仰は信者たちの中に純粋な行いを生むのです。信仰と従順はコインの表と裏のように切り離すことができないものなのです。

6.純粋な信仰とはどのようなものですか?

キリスト・イエスにあっては、割礼があってもなくても、問題ではない。尊いのは、愛によって働く信仰だけである。

ガラテヤ人への手紙5:6

ノート: 義とする信仰とは活動する信仰です。言葉では言っても行わない人は信仰の人ではありません。神様が喜ばれる従順は、キリストの言葉に従って神様を受け入れ、み言葉に屈伏し、キリストが約束されたことはすべて行うことができることを確信するそのような信仰の結果です。それが人を義とする信仰です(ローマ人への手紙4:21,22参照)。人が天から来る知恵をいただけるようになるためには、悔い改めと信仰と愛が必要です。愛によって働く信仰が知識の鍵であり、愛する者は「神を知ってい」(第一ヨハネ4:7)るのです。

7.キリストの恵みの目的は何ですか?

わたしたちは、その御名のために、すべての異邦人を信仰の従順に至らせるようにと、彼によって恵みと使徒の務とを受けたのであり-

ローマ人への手紙1:5

8.神様は従順を強要されますか?

御霊も花嫁も共に言った、「きたりませ」。また、聞く者も「きたりませ」と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい。

ヨハネの黙示録22:17(参考:ヨシュア記24:15)

9.神様は人間の人生で従順をどれほど高く評価されますか?

サムエルは言った、 「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。見よ、従うことは犠牲にまさり、聞くことは雄羊の脂肪にまさる」。

サムエル記上15:22

10.神様はなぜ従順を望まれるのですか?

どうか、あなたはわたしの戒めに聞き従うように。そうすれば、あなたの平安は川のように、あなたの義は海の波のようになり-

イザヤ書48:18(参考:イザヤ書1:19,20,ヨハネによる福音書15:10)

11.神様は荒野で聖所を移動させる時、何をしないようにと言われましたか?

宿営の進むとき、アロンとその子たちとが、聖所と聖所のすべての器をおおうことを終ったならば、その後コハテの子たちは、それを運ぶために、はいってこなければならない。しかし、彼らは聖なる物に触れてはならない。触れると死ぬであろう。会見の幕屋のうちの、これらの物は、コハテの子たちが運ぶものである。

民数記4:15

12.ダビデがギベアからエルサレムまで契約の箱を運ぼうとした時、彼はそれをどのように行おうとしましたか?

彼らは神の箱を新しい車に載せて、山の上にあるアビナダブの家から運び出した。

サムエル記下6:3

ノート: これは問題の発端でした。神様は契約の箱を(車ではなく)男たちの肩に乗せて運ぶように命令されました(参考:民数記7:9,第一コリント15:15)「悪しきわざに対する判決がすみやかに行われないために、人の子らの心はもっぱら悪を行うことに傾いている」。(参考:伝道の書8:11)

13.契約の箱が運ばれていくときその中の一人がどんな大胆な行動をとりましたか?

彼らがナコンの打ち場にきた時、ウザは神の箱に手を伸べて、それを押えた。牛がつまずいたからである。

サムエル記下6:6

ノート: これがまさに神様がしてはいけないと禁止された行為でした。

14.主はこの行動をどのように思われましたか?

すると主はウザに向かって怒りを発し、彼が手を箱に伸べたので、彼をその場で撃たれた。彼は神の箱のかたわらで死んだ。

サムエル記下6:7

ノート: ウザが契約の箱がぐらつかないようにしたとき、彼が最善を尽くしたことは疑う余地がありません。しかし、もし彼らが契約の箱を移動するときに、命令されたとおり肩に担いで箱を移動していたなら、このような事態は起こらなかったことでしょう。これは、たとえ人が神様に仕えることにおいても自分のやり方を押し通すなら、どれほど間違った方向に行くかを教訓として教えることになりました。神様がそのような人間的な努力を認められないことを示しています。神様の命令にはっきり示された道をそれることは非常に危険なことなのです。

15.サウルが彼に与えられた命令に明らかに不従順だった時、サムエルは何といいましたか?

サムエルはサウルに言った、「あなたと一緒に帰りません。あなたが主の言葉を捨てたので、主もあなたを捨てて、イスラエルの王位から退けられたからです」。

サムエル記上15:26

ノート: 私たちが神様の要求に一つでも従わないようにさせる誘惑を受ける時、上記のみ言葉をしっかりと心に覚えなければなりません。

16.天使たちがロトと彼の家族を滅亡の都市ソドムから導き出した時、天使たちは彼らにどんな警告を与えましたか?

彼らを外に連れ出した時そのひとりは言った、「のがれて、自分の命を救いなさい。うしろをふりかえって見てはならない。低地にはどこにも立ち止まってはならない。山にのがれなさい。そうしなければ、あなたは滅びます」。

創世記19:17

ノート: これはとても簡単な命令でしたし、あまり重要ではないことのように思えたことでしょう。しかし、長年快適に暮らして全財産を置いてきた都市から離れることは大きな挑戦だったといえます。

17.ロトの妻がうしろを振り返った時どうなりましたか。このことについて救い主はどのような警告を与えられましたか?

しかしロトの妻はうしろを顧みたので塩の柱になった。

創世記19:26

ロトの妻のことを思い出しなさい。

ルカによる福音書17:32

18.このような出来事を思いながら、使徒はどのような重大な質問をしましたか?

というのは、御使たちをとおして語られた御言が効力を持ち、あらゆる罪過と不従順とに対して正当な報いが加えられたとすれば、わたしたちは、こんなに尊い救をなおざりにしては、どうして報いをのがれることができようか。この救は、初め主によって語られたものであって、聞いた人々からわたしたちにあかしされ-

へブル人への手紙2:2-3

19.神様の御心に従う模範としてイエス様はどのような歩みをされましたか?

おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。

ピリピ人への手紙2:8

20.イエス様は従順を学ぶためにどれほど大きな経験をされましたか?

彼は御子であられたにもかかわらず、さまざまの苦しみによって従順を学び-

へブル人への手紙5:8

21.イエス様はどのような人のための救いの源になられましたか?

そして、全き者とされたので、彼に従順であるすべての人に対して、永遠の救の源となり-

へブル人への手紙5:9

22.イエス様の従順はどれだけ完全なものでしたか?

神の知恵に逆らって立てられたあらゆる障害物を打ちこわし、すべての思いをとりこにしてキリストに服従させ-

第二コリント10:5

23.故意に罪に固執する人々に対するどんな警告がありますか?

もしわたしたちが、真理の知識を受けたのちにもなお、ことさらに罪を犯しつづけるなら、罪のためのいけにえは、もはやあり得ない。

へブル人への手紙10:26

24.救い主は神様の戒めの代わりに人間の風習を受け入れた人々の礼拝をどのように思われますか?

人間のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる。

マタイによる福音書15:9

ノート: 今日私たちは神様の戒めの代わりに人間の伝統や習慣を受け入れることで神様の命令を無視しているのです。人間の作り出した教えをによって歩むなら、私たちの礼拝は無意味なものになっているのです。このことは教会だけでなく、各個人にも当てはまります。私の人生の中で神様のみ言葉の代わりに人間の伝統や習慣に従っているものはないか探ってみなければなりません。多くの人は自分たちが教えられ信じていることが、本当に神様のみ言葉と一致するかどうか自分で探ってみようとしません。彼らはただ自分たちの教会で教えられたことをそのまま信じているだけなのです。そのために本当に新しく生まれるとはどのようなことか、真理を知ることもないまま救われたと錯覚して生きています。あなたは神様のお言葉に従っていますか?人間の学説や意見に従っていませんか?私たちが何を信じ誰に従っているかは、私たちの永遠の運命を決定する大切な問題です。

25.イエス様はパリサイ人の偽善に対して何と言われましたか?

また、言われた、「あなたがたは、自分たちの言伝えを守るために、よくも神のいましめを捨てたものだ」。

マルコによる福音書7:9

ノート: 伝統は単に教会の中に保存された人間の声にすぎません。神様の命令に従う代わりに人間の伝統に従うことはサウルの罪を繰り返すことです。

従順と礼拝:「従うことは犠牲にまさり」ます。犠牲の供え物自体は神様の目に何の価値もありません。犠牲の供え物は、捧げる者が悔い改め、キリストを信じる信仰を表現し、今後神様の律法に従うという誓いをするように意図されたものです。ですから、悔い改めと信仰と従う心がなければ供え物には何の価値もありませんでした。私たちの前にサウルの罪とその結果が見せられているにもかかわらず、どれほど多くの人々が彼と同じような道をたどっているでしょうか! 彼らは主が求めておられる心からの服従は拒否しながら、形式的な礼拝を神様に捧げることに力を注ぐのです。そのような礼拝には神様の聖霊のいかなる応答もありません。また、彼らが宗教的義務を果たそうとするとき、どんなに真心があったとしても、彼らが故意に神様の命令のうち一つでも犯しているなら、主は彼らを受け入れることはできません。神様のみ言葉に完全に従う以外に魂の安全はありません。神様の全ての約束は信仰と従順を条件に与えられているのです。神様の命令に素直に従わないなら、聖書に約束された数多くの祝福は成就されません。私たちは一時的な感情や、他人の判断に頼らないで、聖書に啓示された神様の御心に従う必要があります。周囲の状況に振り回されるのではなく、どんなときにも神様の明確な戒めに従って歩むことが大切です。その結果は神様が責任を負ってくださいます。私たちはどのような困難や試練の時にも神様のみ言葉に忠実に従うことで、その聖なるみ名を崇め、神様が私たちを信頼できる者として認めてくださることを、人々と天使たちの前で証しすることができます。

26.イエス・キリストの福音に従うことを拒絶する人々の未来はどうなるのでしょうか?

それは、主イエスが炎の中で力ある天使たちを率いて天から現れる時に実現する。 その時、主は神を認めない者たちや、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者たちに報復し-

第二テサロニケ1:7-8

27.キリストの恵みを通して真理に従う時に得られる結果は何ですか?

あなたがたは、真理に従うことによって、たましいをきよめ、偽りのない兄弟愛をいだくに至ったのであるから、互に心から熱く愛し合いなさい。

第一ペテロ1:22

もし、あなたがたが快く従うなら、地の良き物を食べることができる。

イザヤ書1:19

ノート: 愛によって働く信仰は魂を清めます。聖霊は信仰を通してその魂の中に聖なる神様のみかたちを創りあげるために働かれます。しかし人間がキリストと共に働かなければこれは成就されません。私たちはただ聖霊が心に働かれることによって天国に入る資格を得ることになります。私たちが天の神様のもとへ行く道へ入りたければ、キリストの義を私たちの信任状として持たなければなりません。そして、私たちがキリストの義を得るためには、毎日聖霊の感化によって変化し、聖なる品性を形作っていただく必要があります。人間の関心を高尚にして心を聖化させ、人間全体を高潔にすることは聖霊がなさることです。

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