- 第21課 信仰によって義とされる(Justification by Faith)
- 1.神様の基準によるとどれくらいの人が義となることができますか?
- 2.義とされた人はどのようになりますか?
- 3.誰によってそして何によって人が義となることができますか?
- 4.なぜ人は律法の行いによって義となることができませんか?
- 5.不義な者は救いを受けることができますか?
- 6.誰の義によって人は義とされることができますか?
- 7.何のためにキリストは罪となられましたか?
- 8.私たちは救い主を何と呼ぶようになりますか?
- 9.私たちが義なるものとされるための条件は何ですか?
- 10.神様の義はどのような人が得ることができますか?
- 11.罪は心の思いも含めて神様の律法に背くことであり(第一ヨハネ3:4)、その律法によって人は自分が律法に違反した罪人であることを悟るようになります(ローマ人への手紙3:20)。罪を自覚した人はどうやって神様の前に義となる事ができますか?
- 12.罪を許してもらい不義を清めていただくために何が必要ですか?
- 13.人は従うことなく清められることができますか?
- 14.私たちが信仰によって義とされたからといって神様の律法を守る義務から免除されることができますか?
- 15.信仰とは何ですか?
- 16.人が信仰によって義とされるなら何を得ることになりますか?
- 17.私たちが真理の光である義を維持するなら周囲の人とどのような関係を結ぶようになりますか?
- 18.このような経験を持った人はどれほど大きな心の平和を楽しむことになりますか?
- 19.天から主が再び来られることを待つ人の重要な品性は何ですか?
- 20.イエス様を信じる信仰は何を伴いますか?
第21課 信仰によって義とされる(Justification by Faith)
1.神様の基準によるとどれくらいの人が義となることができますか?
彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。
イザヤ書53:11
ノート: 義とされる(Justify)ことの定義――正しさが証明される。律法と一致する。道理にかなっている。公平で義理堅い。妥当である。本分を擁護して守る。正しさを立証する。・・・を保証する。有罪や非難から自由であることを宣言する。赦免する。(ウェブスター辞書による)
2.義とされた人はどのようになりますか?
わたしは生けるかぎりは主をほめたたえ、ながらえる間は、わが神をほめうたおう。
詩篇146:2
3.誰によってそして何によって人が義となることができますか?
すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。
ローマ人への手紙3:23.24
4.なぜ人は律法の行いによって義となることができませんか?
なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。
ローマ人への手紙3:20
5.不義な者は救いを受けることができますか?
それとも、正しくない者が神の国をつぐことはないのを、知らないのか。まちがってはいけない。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者-
第一コリント6:9
6.誰の義によって人は義とされることができますか?
彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが-
ローマ人への手紙3:24,25
7.何のためにキリストは罪となられましたか?
神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。
第二コリント5:21
8.私たちは救い主を何と呼ぶようになりますか?
その日ユダは救を得、イスラエルは安らかにおる。その名は『主はわれわれの正義』ととなえられる。
エレミヤ書23:6
9.私たちが義なるものとされるための条件は何ですか?
それは、今の時に、神の義を示すためであった。こうして、神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのである。
ローマ人への手紙3:26
10.神様の義はどのような人が得ることができますか?
それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。
ローマ人への手紙3:22
11.罪は心の思いも含めて神様の律法に背くことであり(第一ヨハネ3:4)、その律法によって人は自分が律法に違反した罪人であることを悟るようになります(ローマ人への手紙3:20)。罪を自覚した人はどうやって神様の前に義となる事ができますか?
しかし、キリストにあって義とされることを求めることによって、わたしたち自身が罪人であるとされるのなら、キリストは罪に仕える者なのであろうか。断じてそうではない。
ガラテヤ人への手紙2:17
12.罪を許してもらい不義を清めていただくために何が必要ですか?
もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。
第一ヨハネ1:9
13.人は従うことなく清められることができますか?
あなたがたは、真理に従うことによって、たましいをきよめ、偽りのない兄弟愛をいだくに至ったのであるから、互に心から熱く愛し合いなさい。
第一ペテロ1:22
また、その信仰によって彼らの心をきよめ、われわれと彼らとの間に、なんの分けへだてもなさらなかった。
使徒行伝15:9
14.私たちが信仰によって義とされたからといって神様の律法を守る義務から免除されることができますか?
すると、信仰のゆえに、わたしたちは律法を無効にするのであるか。断じてそうではない。かえって、それによって律法を確立するのである。
ローマ人への手紙3:31
15.信仰とは何ですか?
さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。
へブル人への手紙11:1
16.人が信仰によって義とされるなら何を得ることになりますか?
このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。
ローマ人への手紙5:1
17.私たちが真理の光である義を維持するなら周囲の人とどのような関係を結ぶようになりますか?
しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。第一ヨハネ1:7
ノート: ここで言われている交わりは必ずしもクリスチャン同士の交わりだけを意味していません。その前の節を見るなら、これはもっと深い意味での神様との親交を意味しています。第一ヨハネ1:3には父なる神様と御子イエス・キリストとの交わりのことが表されており、これが「互に交わりをもち」ということの背景です。
18.このような経験を持った人はどれほど大きな心の平和を楽しむことになりますか?
そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。
ピリピ人への手紙4:7
19.天から主が再び来られることを待つ人の重要な品性は何ですか?
「もうしばらくすれば、きたるべきかたがお見えになる。遅くなることはない。わが義人は、信仰によって生きる。もし信仰を捨てるなら、わたしのたましいはこれを喜ばない」。
へブル人への手紙10:37-38
20.イエス様を信じる信仰は何を伴いますか?
ここに、神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒の忍耐がある。
ヨハネの黙示録14:12