第24課 聖書的な聖別(Bible Sanctification)
1.人に対する神様の御心は何ですか?
神のみこころは、あなたがたが清くなることである。すなわち、不品行を慎み-
第一サロニケ4:3
ノート: 神聖にする(Sanctify)-清くなる、あるいは神に捧げられること。清められるためにまたは信仰のために区別すること。適した意識を通して献納される。
聖化(Sanctification)-人の愛情を清くし、罪と世から遠ざけて神に最高の愛情を捧げるようにする神の恵みのわざ。-ウェブスター
2.人は自分の力で清くなることができますか?
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。
ヨハネによる福音書15:5
3.どのような方法を通してこのような変化をもたらすことができますか?
また彼らが真理によって聖別されるように、彼らのためわたし自身を聖別いたします。
ヨハネによる福音書17:19
4.清められることを喜ぶために人は真理に対してどのような態度をとらなければなりませんか?
しかし、主に愛されている兄弟たちよ。わたしたちはいつもあなたがたのことを、神に感謝せずにはおられない。それは、神があなたがたを初めから選んで、御霊によるきよめと、真理に対する信仰とによって、救を得させようとし-
第二テサロニケ2:13
5.清めを受けるために人はキリストに対してどうするべきですか?
すなわち、イエス・キリストに従い、かつ、その血のそそぎを受けるために、父なる神の予知されたところによって選ばれ、御霊のきよめにあずかっている人たちへ。恵みと平安とが、あなたがたに豊かに加わるように。
第一ペテロ1:2
ノート: 人は清めを受けるためにみ言葉を実行しなければなりません。神様とキリストのみ言葉を信じそのみ言葉に従うことで神様と結びつかなければなりません。その時神様の霊によって人が神様に仕えることができるように清めて下さり、聖別してくださるのです。
真の聖化は愛の原則を実践することで成し遂げられます。「神は愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます」(第一ヨハネ4:16)。心にキリストが宿ってくださった人の生涯には実際的な信心深さが表れるようになります。品性は清く、向上し、高尚なものとされます。清い教えと義の行為が一つとなり、天の原則が神様を信じる人の行動に表されるのです。
6.私たちをぶどうの木の枝にするためにどのような変化が必要ですか?
だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。
第二コリント5:17
7.人は清められることでどのように再臨を迎えられますか?
どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。
第一テサロニケ5:23
8.このような最高の栄誉を受ける前に私たちは何を持たなければなりませんか?
主を恐れることは知恵の教訓である、謙遜(Humility)は、栄誉に先だつ。
箴言15:33
ノート: 謙遜(Humility)-心が低いこと。自分の価値を正当(modest)に評価すること。不完全さや罪を通して自分の無価値さを意識すること。
聖化の特徴-謙遜:聖書的な聖化とは強烈な感情ではありません。多くの人々がここで誤びゅうに陥っています。彼らは感情を尺度にします。幸福を感じたり感情が高まると、彼らは聖化されたと主張します。幸福感または憂うつ感は人が聖化されたとか聖化されていないという証拠にはなりません。瞬間的な聖化というものはありません。真の聖化とは人が生きている限り毎日続けられなければならないものです。毎日の誘惑と戦いながら自分の悪い気質を克服し、心と生活の清めを求める人は、自分は清められたと言う主張をしません。彼らはただ義に対して飢え渇くようになり、罪は彼らにとって非常にいまわしいものに思えます。
9.キリストと結びついた人が思うべきことは何ですか?
このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである。あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない。
コロサイ人への手紙3:1-2
10.謙遜のほかにどのような恵みが必要ですか?
さて、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧める。あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き、できる限り謙虚で、かつ柔和であり、寛容を示し、愛をもって互に忍びあい-
エペソ人への手紙4:1-2
11.すべてにおいて私たちの心に何がなければなりませんか?
キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。
ピリピ人への手紙2:5
ノート: 使徒ヨハネの生涯の中に真の聖化が例証されています。キリストと親しく交わった歳月の間、ヨハネはたびたび救い主から警告と注意を受けました。彼はその譴責を受け入れました。聖なる方の品性が彼に表された時、ヨハネは自分の足りなさを自覚し謙遜になりました。毎日彼は自分の乱暴な精神と対照的なキリストの親切と寛容、謙遜と忍耐の教訓を見聞きしました。日ごとに彼の心はキリストに導かれ、ついに彼は主に対する愛の中で自分を忘れてしまいました。彼はキリストの日常生活の中で、その権威と優しさ、威厳と柔和、力と忍耐を見て驚嘆しました。彼は自分の怒りやすく野心的な性質をキリストの聖なる感化力に屈服させたので、聖霊の更生力が彼の心を新しくしたのです。ヨハネの生涯の中に現れた品性の変化は絶えずキリストと交わった結果です。ある人はその品性に著しい欠点を持っていますが、その人が真のキリストの弟子となる時に聖なる恵みの力は彼を変化させ聖化させます。鏡をみるように主の栄光を眺めることで彼は栄光から栄光へと変化させられ、ついに彼が敬い慕っていたあの方と同じように変えられるのです。ヨハネは日ごとに自分の思いと心を捨て、み言葉に示されたキリストの思いと心を受け入れました。
12.クリスチャンは困難な時にどのように祈りますか?
「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」。
ルカによる福音書22:42
13.このように祈る時、神様は嘆願する者のために何をなさいますか?
わたしたちはこのことを知っています。神は罪人の言うことはお聞きいれになりませんが、神を敬い、そのみこころを行う人の言うことは、聞きいれて下さいます。
ヨハネによる福音書9:31
14.使徒ヨハネはこの経験を別のどんな言葉で表現しましたか?
そして、願い求めるものは、なんでもいただけるのである。それは、わたしたちが神の戒めを守り、みこころにかなうことを、行っているからである。
第一ヨハネ3:22
ノート: 上記の二つの聖句を通して私たちは神様の御心を行うとは神様の戒めを守ることだと言うことができます。真の聖化とは完全な愛、完全な従順、神様の御心に対する完全な一致を意味します。私たちは真理に従うことで神様に対して聖化されなければなりません。私たちの良心は生きておられる神様うに仕えようとする熱心な努力を通して聖化されなければなりません。私たちはまだ完全ではありませんが、利己心と罪悪が要求するものを断ち切って前進することが私たちの特権です。偉大な可能性、高く聖なる目標があらゆる人の手の届くところにあるのです。
15.キリストはご自身の言葉を守る人たちに何を約束されましたか?
イエスは彼に答えて言われた、「もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。そして、わたしの父はその人を愛し、また、わたしたちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう」。
ヨハネによる福音書14:23
16.キリストの中にいる人々はどのような状態にいますか?
もし、キリストがあなたがたの内におられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊は義のゆえに生きているのである。
ローマ人への手紙8:10
あなたのすべての戒めは正しいので、わが舌はみ言葉を歌います。
詩篇119:172
もしわれわれが、命じられたとおりに、このすべての命令をわれわれの神、主の前に守って行うならば、それはわれわれの義となるであろう。
申命記6:25
ノート: キリストの内住とは聖なる原則と愛情が心に宿り、聖なる律法に調和する人生を含んでいます。
17.私たちの変化はどのようなものでなければなりませんか?
あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。
ローマ人への手紙12:2
そして、あなたのすることはすべて、言葉によるとわざによるとを問わず、いっさい主イエスの名によってなし、彼によって父なる神に感謝しなさい。
コロサイ人への手紙3:17
18.神様の栄光のために私たちはどのようなことまで気を付けなければなりません?
だから、飲むにも食べるにも、また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである。
第一コリント10:31
19.私たちが行動のすべてを注意しなければならないのは何のためですか?
兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。
ローマ人への手紙12:1
20.私たちがキリストの真の弟子となるためにどれぐらい捧げなければなりませんか?
それと同じように、あなたがたのうちで、自分の財産をことごとく捨て切るものでなくては、わたしの弟子となることはできない。
ルカによる福音書14:33
21.キリストの真の弟子はどのような心で学ばなければなりませんか?
わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
マタイによる福音書11:29
22.私たちのキリストに対する愛情はどれほど大きいものでなければなりませんか?
わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。
マタイによる福音書10:37
23.私たちが完全にイエス様の僕になるならどのようなことが起きますか?
わたしがあなたがたに『僕はその主人にまさるものではない』と言ったことを、おぼえていなさい。もし人々がわたしを迫害したなら、あなたがたをも迫害するであろう。また、もし彼らがわたしの言葉を守っていたなら、あなたがたの言葉をも守るであろう。
ヨハネによる福音書15:20
24.このような迫害がキリストとその愛から私たちを引き離しますか?
わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。
ローマ人への手紙8:38-39
ノート: 聖化は人を変化させる神様の恵みの働きです。人がみ言葉を通して働かれる聖霊の感化に従うなら驚くべき奇跡が起こります。
恵みの奇跡:神様の恵みの感化力は人間の生まれもった性質を変化させます。生まれつきの肉に属する人は天国を求めることもなく、清められていない心は純潔で聖なる場所に魅力を感じることができません。もし彼らが天国へ行けたとしても、彼らはその場所で気に入ることを何も発見できないでしょう。人間が天国に入り純潔で聖なる天使たちと交わるようになる前に、生まれつきの堕落した性質が神様の恵みによって征服されなければなりません。人間が罪に対して死にキリストを通して新しい命によみがえらされる時、その人の心に神様の愛が満ちあふれ、その人の理解力も清められます。その人は尽きることのない喜びと知識の泉から飲み、命の光であられる方がいつもその人と共におられるので、永遠の光がその人の道を明るく照らすのです。
従順の結果:聖化とは一日、一時間、一瞬のことではなく、一生の働きです。それは高揚した幸福感によって得られるものではなく、絶えず罪に対して死にキリストのために生きる結果です。弱々しい時たまの努力では過ちを正すことも、品性に改革をもたらすこともできません。ただ長年の粘り強い努力、厳しい訓練、苦しい戦いによってだけ勝利することができるのです。私たちは明日の戦いがどれほど厳しいものになるのかわかりません。サタンが支配している限り私たちには服従させなければならない自我があり、克服しなければならない罪悪があるのです。ですから命の続くかぎり留まる所はありませんし、私たちが到達して完全になったと言うことができる地点はありません。聖化とは一生の従順の結果です。